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誰かに届けるために言葉がある
「国語って、音楽や美術と同じような、表現の教科だと思う」
国語を教えていた頃、これを言っては笑われていたのだけど、今もその気持ちは変わらないでいる。
学校の中では、受験教科の「国社数理英」が同じカテゴリー。そのほかは、芸術体育でひとつのカテゴリー。
でも、国語は言葉を使って表現したり、言葉を味わう教科。受験教科だから勉強するのではなくて、純粋に言葉という表現を楽しんでほしいなぁと思っている。
楽器や絵の具、彫刻刀。ハサミにカメラ…。使う道具が違うだけで、表現していることには変わらない。
それに、言葉は一番身近にある表現の道具。特別になにかを揃えなくても、技術がなくても、自分の心の中にあるものをどんどん表現していける。
もし必要なものがあるとすれば、心をオープンにすること。たくさんの伝書鳩を飛ばすみたいに、心を開け放って、言葉を放つ。そうすれば、挨拶すらひとつの表現になる。
表現することは、「私はここにいるよー!」「誰かを思う私がここにいるよー!」という、自分が「今ここにいる」という証明でもあると思う。
感謝、祈り、宣言、SOS、アイディア、思い…。
特定の誰か、未来の自分、まだ見ぬ誰かに向けて。
「今ここの自分」を誰かに届けるために表現をするし、そのために言葉はあると思う。
放った言葉が、必要なタイミングで、必要な人に届きますように。