タブー。
恐る恐る初めてのノートを投稿してみたけど、思いの外みんなの反応が優しくて、ホッとしたのと、思ってたよりずっと反響があって嬉しかった。
先日のノートに盛り込めなかったエピソードを追記します。
私が幼稚園に通えなくなったのはもう一つの理由がある。
歩いて幼稚園に向かう途中で大きな小学生の男の子に突然腕を掴まれたのだ。
物凄く強い力で。窒息しそうなぐらい抱きつかれて連れて行かれそうになった。
何故か母が騒ぎを聞いて後から駆けつけた感じだったんだけど、大きくて力が強いから中々引き離せなくて母が説得してようやく離してもらったらしい。
知的障害のある身体の大きな少年だった。
いじめ紀行の沢田君のエピソードを読んだ時に私はあの小学生を思い描いていた。今でも沢田君でイメージするのはあの少年だったりする。
あの少年といっても幼稚園入園したての私にとっては、巨人に見えたんだけど。
そんな事もあり通園も恐怖症になり、すぐに幼稚園をリタイアしたのだった。
私は障害児を身近に感じて育ったけれど、それでも沢田君のような子に出会うと身体が硬直してしまうような恐怖感を子供の時に抱えてしまった。
それって差別なのか?偏見なのか?
ってよく考えてたけど今もわからない。
そしてこう言う話はタブーだったりする。
一方で私は自分の弟の事を『障害者』っていう偏見の目で見られる事が一番悲しかった。
普通だよ。うちの弟別に弱くないよって。
私はいつも弟の付き添いだったからか、逆に主役の弟が羨ましいなーって思ってた。
ちょっと長い入院とか手術とかあると我が家では絶対貰えないゲームだったり漫画だったり弟だけ持ってたりVIP待遇。
で、弟は入院先で友達がいっぱいいたりする。
(私は友達いないのに(笑))
ちょっとユニークな友達がいっぱい出来て楽しそう。
私もここに入院したい!って親によく懇願していたらしい。
弟が長期で入院していた時の話…
私達が家族でお見舞いに行くと、
えー、家があっていいなー!ぼく家ないんだよ。お父さんもお母さんもいないんだよ。
捨てられたんだよー。
僕も僕も!
とか言う子達が何人か居た。
ヘッドギア付けてたり足とか手とか装具付けてたりするんだけど、元気で楽しそうにみえる子達が居た。
養母施設と養母学校と病院となんか併設していたところだったのかな…
子供ながらに衝撃だったんだけど、私は、なんだここ楽しそう〜とか思っていた。
小学校の道徳の授業で障害についての学習があった。
障害者学習をした後の感想で
みんなは
障害のある人は可哀想だと思います。可哀想なので困ってたら手伝ってあげたいと思います。
って感想を書いていた。
私は、
わたしは障害のある人が可哀想だとは思いません。わたしたちなんかより強いし別に楽しそうだと思います。
って書いた。
(一人だけそういう事を書いてピックアップされたので覚えている)
障害者=弱者
障害者は可哀想だから助けてあげないと
みたいな風潮には凄く反発してしまう。
24時間TVは大嫌いだし泣けない。
障がい者に対して長年の間虐待した
だとか、小山田さんは報道されたり叩かれたりしていたけれど、
それはクイックジャパン原文を読んだら誤報だということはわかる。
最近、
擁護派が小山田の罪を軽くしようとしている。
だとか、
擁護派は障害者を軽く扱っている。
だとか、
いじめを矮小化している。
だとか、言われているのを見るけど、
みんなどんな障害者を想定して?どんな障害者の立場に立って?小山田さんを非難して悲しんで怒って批判したのだろう。
障害者を可哀想だとか弱い立場の人だとか過剰に哀れんでしまってないだろうか。
なんか障害者って垣根を取っ払う事が出来たらいいなーって思う。今障害者と健常者が接する事が減っている社会では難しいけれど。
私みたいに抱きつかれてトラウマ抱えることだってあるしね。
だけど、
お前卒業したらどうすんの?
ボランティアをやりたい
お前ボランティアされる側だろ!
でもやりたい
へー
って会話できる関係性は
なんかいいなあと思う。