見る知る考える
9月11日水曜日。
アメリカ同時多発テロについて考えようとすると、いつも最初に思い浮かぶのはクラスメイトだった河村くんの顔だ。世界貿易センターの前で弟と写った写真をみんなに見せて「先月ここに俺行ってたんだよ!」と少し興奮した様子で語っていた。その時小学5年生だったと思う。テロで沢山の人が死んでしまって大きなビルが映画のように崩れていった、大変なことが起こった、ということはなんとなく、わかっていたが、それが一体どういうことなのかわかっていなかった。
家族旅行というものに行ったことがなかったわたしは、河村くんが夏休みに家族旅行、しかもアメリカに行ったことに衝撃を受けた。信じられない夢のことのようだった。それから毎年のように9.11のニュースを観る度に河村くんを思い出した。中高生くらいの時に思い出した際には、河村くんちってお金持ちだったんだな〜なんて思ったけれど、今振り返るとあの頃は円高で結構行きやすかったのではないか、と思う。お金持ちじゃなくても、ちょっと頑張ってお金貯めれば行けるくらいには。どのみちわたしの家では無理だったと思うけれど。
今でも、あの悲惨な事件がどういうものなのか、わからない。到底わかりえるものではないらしいと言うことがわかってきた。
ただ、見ること、考えること、わかろうとすることをやめないようにしないといけないようだ。
仕事は20時まで。月に一回の社内ミーティングの日だった。ミーティングを始める際に社長が「みんな、今日は9.11だよ」と言った。わたしを含めた社員4人が「そうですね」と頷く。わかっているよ、考えていたよ、という雰囲気に感じた。一体、だから、なんなのだろう。ああ9.11だなって思うだけでも、ちゃんと意味はあるのだろうか。全く忘れているよりは良いだろうか。結局わたしは、あまり何も考えていない。
今までミーティングの後は飲みに行く流れだったのが今回はなし。なら先に言っておいてよ〜と思いつつ、夕飯をどうするか考える。夫に聞けば近所の中華屋で済ませたから家に食べるものは無いと言うし、そうだ歩いて20分くらいだし貝ワイン屋にでも行っちゃおうか!と俄然ワクワクするも、財布の中身を思い出す。千円しか入っていない。クレジットカードも交通系ICでの支払いもできない店なので断念。
大人しく最寄り駅まで帰り、夫が食事した中華屋へ行き炒め物をテイクアウトで購入することにした。いつも忙しそうにしているお店のお姉さんが、ゆったりとまかないを食べていた。注文が出来上がるのを待ちながら、お姉さんと少し喋った。普段どんな料理をするの?と聞かれる。なかなか難しい問いだ。名前がちゃんと付くものを作ることは少ない。殆ど自分では作ってはいないくせに「かぼちゃの煮付けとか」と言うと「蒸すの?」「いや、煮る。醤油とみりんで」と答えると、へえ!と驚いた顔をして「中国ではお粥に入れるねー」とのこと。確かに、所謂中華料理にかぼちゃが使われているのをあまり見ない。黒いお米にかぼちゃや青梗菜その他野菜をたっぷり入れて朝ごはんに食べるらしい。わたしは子どもの時、お粥が嫌いだったけれど、もし中華粥のようなお粥だったら好きだったかもしれない。朝ごはんにお粥、いいな。身体が温まりそうだ。他には鶏肉やピータンを入れる白いお粥もあるとか。
鶏肉とキャベツを炒めて、酒や醤油で味付けしたりもすると話したら「薄味なんだね〜」と言われた。そうか、これって薄味なのか。面白い。改めて、日本の食事と中国の食事は全然違うんだなあ〜とアホみたいなことを思う。
お姉さん短い時間でもゆっくり話をしたのは初めてだったから、結果的に中華屋テイクアウトの選択はベストだったかもしれない。
昨日はそんな感じです。
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