この火は絶やしたくない
金曜日の仕事では、早速障がい者のスタッフが体調不良で休んでしまった。
ただ、先の二日間はゆっくり自分が作業内容を確認したり、何をしなければならないのかを教わったりする時間がなかったので、その時間ができたのはよかった。
休憩室も貸し切りになり、集中して本を読むことができた。仕事が終わって帰ってから夕飯を作るまでの時間も読み、武田砂鉄著「なんかいやな感じ」読了。珍しく良いペース。
砂鉄さんの本は三冊しか読んでいないけれど、これは傑作では?と思う。文章も時々とても詩的でハッとする。そして、抉ってくる。砂鉄さん自身も抉られながら書いていたんじゃないかと思うけど、それが読者にも向かってくる。自分の狡さ、いやらしさなど向き合いたくない部分を曝け出されて、身に覚えのある人(きっと殆どの人がそうだろう)は記憶の蓋が開けられてしまう。子どものときのあの空気、感情。
本の終盤に出てきた見田宗介「まなざしの地獄」は既に家にあったのでこれを次に読むことにする。
土曜日は、この「まなざしの地獄」をまるっと読み終えた。普段本を読まないわたしには奇跡。
スーパーへ買い物へ行く以外はずっと家にいて、ラジオを聴いている時間の他は殆ど読書をしていた。
戦後、実際にあった殺人事件の殺人犯が罪を犯すまでにどのような生活をしていたかを通して、その当時の若者の生活や社会を見る。自己を剥奪されてただの労働力として存在することを求められる。それで正気で居られるのか。
この社会状況は現在も何ら変わらない気がする。怖い。
今日、日曜日も天気が良いというのに、いや、良いからこそ?家に篭っていた。
次に読み始めたのは真木悠介(見田宗介と同一人物)「気流の鳴る音」。字も敷き詰まっているしなんだか難しそうかな、と思い読み始めたけれど夢中になった。
わたしが常日頃感じ考えていたことの答えのひとつを目の前に提示されて感動で震えながら読んでいる。読み終えたら人生が変わるんじゃないか。
これは土器ワイン屋の店主も好きそうだと思い、知らせたら「本屋に寄ったらこの本が現れたので買いました」とのこと。
明日も続きを読むのが楽しみだ。
この読書熱いつまで保つか。どうにかこの火は絶やさずに生きたい。
オンラインの花教室は、苦戦。
先生に迷走していると伝えると「やっぱり!苦手そうな花だと思っていました」と返事。お見通しか。
先日、ちょうど一年前に生けた写真を見ていて「下手だな〜、わたし結構成長したんだな」と思っていたが、なんのことはない今回と同じスラリとした草花、苦手だっただけ。そして今もその苦手具合は変わっておらず、成長なんてしていないということか。
一度の手直しでは決まりきらず、明日最終手直しをする予定。
ここ3日はそんな感じです。
今回丁寧語で書くのをやめてみたけど、どうなんだろう。