アッシャー家の崩壊と古典挫折
「コーセー、マイク・フラナガンの新作、ちょー良かったYO!観た?」
ある日、敏腕イラストレーター兼ドラマーの木下ようすけ氏が教えてくれた。嬉しいね。こりゃもうすでに彼は“フラナガニスト”だろう。
で、NETFLIXのドラマ『アッシャー家の崩壊』を観たのであった。最近は映画を観るのもサボリ気味で、この新作情報はTwitterでぼんやりと知っていたのだけれど、こんなに早く配信されているとは思わなかったし、気が付かなかった。
やった… マイク・フラナガンがまたやった!ちょー良かったYO!
まず、今回もマイク・フラナガン作品お馴染みの俳優陣が嬉しい。
特にカーラ・グギノさんね。監督の絶対的な信頼を置かれてるのが感じられる。全編に渡っての“グギノ力”が凄かった。
ケイト・シーゲル、ブルース・グリーンウッド、ヘンリー・トーマス…それぞれ哀しくて壊れてて、面白い役どころだった。
なんだか同じ劇団を追っかけてるみたいな楽しさだなと思う。
あと、1話のEDテロップを見てて、あれ?と思った。“マーク・ハミル”が出てる?!『スター・ウォーズ』のルーク・スカイウォーカーだ。
え、どのひと?と思ってたら、4話くらい観てようやっと気が付く。このひとか!ド渋いけど、確かにお顔がルークだ。ルーク・スカイウォーカーじゃない演技を観るのは初めてかもしれない。この役の人物背景もまた面白い。
あと、“音”が良いぜ…
さりげなく、特徴的な“音”が物語のミステリーの一部として配置されてるそのセンスよ。いやあ、音って単体で聞くとわからないものだなあ。怖いなー。『真夜中のミサ』でもやっていた、エンディングに音楽を流さない演出が今回も良い味出してる。
「あら?この人がこんなふうになっちゃったよ〜。どうしてかな〜?」という、ドラマの構成も好きだったなあ。そして、その顛末がちゃんと予想外で、描写がフレッシュ。フラナガンだなあ、もう。
劇中、チラッとNETFLIXをいじってるシーンで『ジェラルドのゲーム』が映る小ネタもあったね。アッシャー好きだった人にはジェラルドも観てほしい。
そうそう、珍しく目はそこまでピカーっと光らなかったですね。期待しちゃったけど、幽霊たちがちょっと光ってたかも。いつもに比べると7分光りくらいだった。
レノーアの最期、哀しくも、ほんの一握の希望を抱かせるエピソードが僕には斬新で胸に残った。これは原作通りなのだろうか。エドガー・アラン・ポー、ちゃんと読んだことないけど気になってきた。オーディブルにあるかしら。
ということで、オーディブル版を検索するとちゃんとあった。
早速聴いてみたのだけれど、ダメだ… 情けないことに、この古めかしい文体が頭に全く入ってこない。僕はこれまで、映画も小説も音楽も、なにかと“古典挫折”をしてしまった経験が多い。
だけど気になって、あらすじだけちょっと調べてみたら、『アッシャー家の崩壊』は短編の1話で、すごくシンプルな話だったようだ。(僕には全然シンプルには聞こえなかった…)そして、このドラマはその他のポー作品のエピソードやキャラクターを組み込んで作ったお話だったようだ。マーク・ハミル演じるピムも、語り部のひとりである刑事も、別の物語の主人公なのだ。なるほど、これはなかなかワクワクする。やはり各原作を知ったほうが、より解像度高く楽しめるし、制作陣の狙いや含みも見えてきそうな気がする。
うーん、どうにかオリジナルの面白さを読み解きたい。本買ってみるか、迷い中。