天才数学者の部屋

娘は小学二年生で、ただいま、九九に4×9+8×9している真っ最中である。
どうにも覚えづらい部分で引っかかってしまう。そして学校の仲良し達に少し遅れをとっているようで、焦りや劣等感も感じているようだ。

一緒に風呂に入っているとき「なにか問題だして」と言われ、曇ったガラスや鏡のあちこちに4×7とか、3×8とか、苦手そうな問題を書いて特訓していた。ふと気がつくと、計算式に囲まれ、我が家の浴室が“天才数学者の部屋”みたいになっていた。
うわ、天才数学者みたいじゃないか!

おそらく『グッド・ウィル・ハンティング / 旅立ち』とか、『ビューティフル・マインド』とかで観たのかなと。壁中に数式書いちゃうあの感じ、現実にはどうなのだろう。ちょっと嘘っぽいよ。嘘っぽいのだけど、正直「カッコいいな…」と思ってしまう自分もいる。

僕からすると、壁一面の図形や数式に「わあ、天才だ!」とすぐ思ってしまう。意味より先に、雰囲気であり、模様でしかなくなってしまう。だけどこういう描写、ちゃんと書いてあるものが理解できるひとからはどう見えるのだろうか?ということは昔から気になっている。
この作品はちゃんとしてる、この作品はデタラメ…とか、あるんだろうな。こういうのはいろんな職業の人の話を聞くのがきっと楽しい。

ちなみに僕は音楽家だけど、大した専門知識や学が無いので、音楽を扱った作品でいちいち気になったりはしない。気になり過ぎて楽しめないよりは良いことのような気もしている。ポジティブな意味では、ジョン・カーニー監督作品はインディーミュージシャン目線で物凄くリアルなとこが随所にあって楽しいし、一方でちゃんとサクセスな夢のある部分も描いてて、そこのバランスが絶妙なのが素晴らしいなと僕は思う。

許せないぜ!というほどではないのだけれど、ひとつだけ、僕でも気になった音楽関連のシーンを思い出した。
『パッチギ』の中で、主人公がヒロインと一緒に宴席で「イムジン河」を演奏するシーン。演奏の直前にギターを構えた主人公は、横笛(フルート?)担当のヒロインに「キーはFで」と言う。僕は「おや?」と思った。主人公はギターを始めたばかりというお話のはず。演奏の直前でキーを指示するなんてのは手練れの為せる業。しかも、Fから?…
で、いざ演奏し始めたその手のフォームはというと、明らかにGメジャーだった。それでいい。それはいい。Fキーなんて、曲によっては一緒にBbとかGmも出てきちゃうし、初心者には鬼門なのだ。だから、酒の席とはいえ、ヒロインの母国の大事な歌をいきなり披露するにあたっては、結果的にGにしたのは英断なのだ。俳優さんはちゃんと演奏もしている。ただ、あの「キーはFで」の一言さえなければなんの問題も無いシーンだったのに。なぜ敢えて入れたのだろう。現場に誰一人ギターを弾いた経験を持つ人はいなかったのだろうか。

でもさらに考えてみた。実はあのギターのチューニングが全音下げで、Gのフォームを弾くと発される音はFになるようにしていたのだとしたら?
そうなると話は別だ。まだ弾き始めたばかりの人は、指が痛くなりづらいように、弦の張りを緩めておくという方法も確かにある。もしそうなら、それは彼の初心者感を示すための描写ともなるのだ。
僕はあくまで指のフォームで判断しただけで、音感ではそれはホントにGのキーなのか解らなかったし確かめていない。ギターのフォームを知っていて、かつ耳の良い観客へのエクスキューズとして、あのセリフ「キーはFで」が逆に効いてくるわけだ。なるほど。
…と、ここは純然たる想像だった。
確認すればいいのだけれど、ずっとほったらかしだ。


ところで、「天才数学者っぽくなれる壁紙」とか、商品としてあったら楽しいんではなかろうか。いつか僕が財を成したなら、ザリガニワークスさんに制作を依頼したい。「映画に出てくる“アレ”シリーズ」みたいなの、いろいろ妄想しちゃうね。

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