オシャレ
『HUNTER×HUNTER』の話をさせてください。
およそ2年ぶりの最新巻、38巻を読みました。
まぁ…なんて、なんて面白いことでしょうか。
念だ。こんなん絶対、念能力で描いてるでしょ。
物語の語り口がどこまでもオシャレだなあと思う。
“少年ジャンプのバトルマンガ“というジャンルをある程度背負いながらも、そこに常に俯瞰視点があって、定番的な表現も一歩踏みとどまって丁寧に届ける工夫がすごい。…要はとにかくオシャレ!僕はそう思っている。
そんなわけで、『HUNTER×HUNTER』の僕の思うオシャレポイントの話をします。させてください。
【その1】
20巻-207話「弱点①」の、ゴンの心のモノローグ。
ナックルとのバトルシーンで、ゴンの
「やっぱりだ、ナックルは…なんて優しいんだ」から始まるゴンの心のモノローグが巧みすぎる。
そこに至るまでのナックルのセリフは、表面上、読者のための説明になっていて、今この戦いがどう機能していて、どういう勝ち負けのロジックが働いているかが読み手にはすごくわかりやすい。そして、ゴンが成長するために克服すべき課題がなんなのかも提示される。言ってしまえばマンガのバトルシーンにはありふれたやりとり。それが、ゴンのモノローグで、一気にひっくり返る。一連のセリフが、ナックルの人間性によるものだということがわかる!このことで、とても重層的で記憶に残る名シーンになっている、んじゃないかなと思う。下手をしたらギャグになりかねない、メタ発言っぽさギリギリのところで、物語を踏み外さず、ふたりのキャラクターの魅力も同時に溢れ出す。ゴンは素直さと賢さ、ナックルは飛び切り優しい。とんでもない技が繰り出された。オシャレすぎる。
【その2】
25巻-264話「突入④」の、ゼノのインタビュー。
アリの宮殿内部の大階段に侵入するチームと、同時に上空からゼノ&ネテロ会長のお爺ちゃんチームが同時アタックする、その「瞬間」のエピソード。この話が好き。
ゼノのドラゴンダイブが降り注ぎ、それに気付いて迎え撃つアリ軍ピトーが会長と空中で遭遇した瞬間のやりとりの後、ゼノの謎のインタビューシーンみたいなのが差し込まれる。途端にちょっと空気がユルっとなる。何気なく読んでしまっていたけれど、3回目くらいの全巻読み返しの際「ああ、ここすごい!」と打ちのめされた。
ここで語られるのは、「“心滴拳聴”(しんてきけんちょう)という現象が、確かにあるんじゃよ」という話で、「真の強者同士がぶつかりあう瞬間にはよくある時間感覚の矛盾じゃ」と、要は、実際の時間にはありえない情報の交換ができちゃうことがあるんだ、というような話。そのあとはスムースにネテロ会長の話になっていって、現在に戻って、インタビューはいつのまにか終了。タイミング的にはこの直前のネテロ会長とピトーのやりとりについての挿話とも読めるのだけど、その先の展開を知ると、これは以降のキメラアント編全体に対して、「さあ、ここからしばらく時間表現の嘘つきますよ〜」っていうエクスキューズを入れたんじゃないか、と思うのだ。
描かれている時間とセリフや思考の情報量がおかしい。これもマンガ表現のザ・定番で、わかっちゃいるけど「こりゃ収まらないだろ!」って気持ちがノイズになることがやっぱりある。キメラアント編は、ここからコンマ単位の刹那的な時間を描く戦いに突入する。だけど、アリも人もそれぞれの心の動きや、行動の意味が濃密で、とてもリアルタイムには収まらない情報量を抱えてるのがめちゃ面白い。そこで、ここだけは物語の語り口に“特別ルール”が採用されるのだ。いつの間にか四角い枠のナレーションみたいな第三者視点の説明文も加わり出し、もうそこからの登場人物たちの会話は、果たして本当に交わされている会話なのか、「心滴拳聴」状態なのか区別出来ない。というか、だんだんうやむやになっていく感じすらある。だけどそれがノイズにならない。読者が時間表現の嘘にどっぷり入り込むための準備段階として、ゼノのインタビューが配置されたと思えてならない。こんなオシャレな語り口があるだろうか。そして「心滴拳聴」という言葉もオリジナルの造語だということをのちに知った。なんてこったい。
【その3】
26巻-275話「約束」の、「そいつ」
ドラゴンダイブで傷ついたコムギを、王の命令で治療しているピトーと遭遇したゴンとキルアの話。この途中でゴンがコムギを「そいつ」呼ばわりしたのがすごすぎ…。
純真無垢な少年の主人公は、ホントに“正義”なのだろうか。そんな問いかけを感じる。コムギがどんな存在かを読者は知っている。それを読者が知っていることを作者は知っている。そこに飛び込んでくる、むき身の刃のようなゴンがとても恐ろしい。だけど読者はゴンが復讐心や自責の念や複雑なものを抱えてここに辿り着いたことも知っている。それを作者も知っている。その微妙なバランスだからこそ、主人公であるゴンをここまで身勝手に描ける。「そいつばっかり、ずるい」と言ってしまう、その心が解るからこそ苦しい。自分が大切に想うものしか大切にする余裕がなくて、ふとした言葉で友達を傷付けてしまう。それって、とても普通にあることだ。この型に対する警戒と描き方が…オシャレすぎる。
次々現れるライバルたちとの戦い、修行をして、仲間が増えて成長していく。次第に出自に隠された運命に巻き込まれていく…というような、ジャンプのバトルマンガ的な雛形はとても強固だなと思う。主人公は真っ直ぐで、意志が強くて、まだ世の中を知らない。だからこそ、常に正義側であるとは限らないのではないか。善悪の境界は曖昧で、どんな教えを受け、どんな体験をしてきたかでカンタンに転げてしまうかもしれない。ゴンは敢えて典型的な主人公の型にスタートラインを合わせながら、成長の道筋がとてもリアルで緊張感がある。
そもそも『幽遊白書』というお話がそういうテーマだったように思う。戸愚呂も、仙水も、追い求めるものがありながら、その純粋さ故に人間の敵となった。実は2人とも浦飯幽助より主人公っぽい。で、ホントの主人公である幽助のユニークだったのは、目標が全く無いキャラクターだったことだと思う。ただただ巻き込まれ続けながら、仕方がないから、もしくは自分が楽しみたいから事を進めていく主人公。その独自の審美眼と判断力が、敵役の抱えた執着心や絶望から解放していく存在。最後は強さの渦の中心から外れて、「別に1番じゃなくっていいや」って感じで、なんだかプロデューサーみたいな存在になっていくのが最高にオシャレだった。
…ということで、僕の思うオシャレポイント3選でした。定番的なマンガ的表現に、ただ抗うんじゃなく、新鮮な提案を残すような語り口のセンスが素晴らしい。ウマ。この人マンガウマ。
キメラアント編に偏ってしまったのは、ショックが多かったからかもしれない。恐ろしくて、辛くて、悲しくて、だけど迷い変化していく登場人物たちから目が離せなくて、最後に微かな救いのようなものに辿り着けたような気がするけれど… みたいな、胸にぽっかり穴を開けられるようなパートでした。
付け加えて、なんとなく冨樫先生はしっかり人類に絶望している感じがして、これは『三体』の劉慈欣にも同じモノを感じます。そういう人の描こうとする人間や文明社会は、見つめているものがフラットな感覚がして、時々ゾッとさせられるような生々しさがあって、そういうとこに惹きつけられてしまうところがあるな、と、そんなことを思ったりもするのでした。