雪という友人~あたたかく、なつかしく~
来ましたね、冬。
今年は12月に入ってもまだあたたかいな、と思っていたら、いきなりの氷点下。そして雪。
大の寒がりである私にとってはつらいつらい季節・・・・・・。
今回は、先月発売になった「現代短歌」2022年1月号で書かせていただいた「短歌歳時記 師走から睦月」を転載します。
冬も寒さも大嫌い!なのですが、子どもの頃の雪を思い出すと、かじかんだ手がすこしあたたかくなる気がします。
では、どうぞ。
***********
雪も寒さもすっかり苦手なつまらない大人になってしまったことが、この季節が来るたびに少し口惜しい。
やがてくる初雪を「雪麻呂」と呼んで親しんだり、とうとうふりはじめた雪を目を細めてふりあおいだり、ふりしきる雪のなかに「はくてう」とともにながく佇んだり。そんなことがなかなかできなくなって、「おほぞらの喉(のみど)へふかく落ち」てゆくような感覚を忘れてしまって、もうどれぐらいになるだろう。子どもの頃は、雪がふるのが待ち遠しくて仕方がなかったというのに。今でも冬は、変わらずにどこまでも冷えわたり、そして澄みわたっているというのに。
幼い頃、年末年始はいつも会津にほど近い母方の実家で過ごしていた。雪が深く積もった朝には、いつもより早く目が覚める。周辺のありとあらゆる音が雪に吸われて、静かだからだ。家の前を通る自動車やトラックはスピードを落としていて、タイヤに巻かれたチェーンの音だけがチャリチャリと響いていた。挨拶を交わしている人の声や、大きなスコップで雪を掻く音もくぐもっている。あたたかい布団のなかで、人間ってうるさいときだけじゃなく、静かすぎるときにも目が覚めるんだなあ、と思ったことを今でもよくおぼえている。布団を抜け出すにはちょっとした勇気がいった。部屋の中でも空気は刺すように冷たい。えいっ、と布団から出て茶の間へいくと、誰よりも早起きな祖父がストーブに火を入れてゆっくりと煙草を吸っていた。冬の祖父はいつも、このストーブの煙と煙草のにおいがした。
もう数十年前の話だが、当時からすでに「温暖化」はあちこちで言われていた。年々積雪が少なくなっているのは山間の小さな集落も例外ではなかったけれども、普段都市部に暮らしている子どもが夢中で雪遊びをするには十分であった。祖母は毎年、私と妹に毛糸で新しい帽子やマフラーを編んでくれた。「南天」という植物の名前をおぼえたのは、この頃祖母が玄関先に植えられていた南天の赤い実と葉っぱで雪うさぎをつくって見せてくれたからである。一口に「雪」といっても、積もったばかりの雪、時間が経ってざらめのようになった雪、とけかかってぐしゃぐしゃになった雪、それぞれに手触りもにおいも、そして重さもまったく違う。それにともなって、橇で滑ったり雪だるまをつくったり、雪合戦をしたり、集めた雪に塩をふりかけたところにオレンジジュースをつっこんでアイスキャンディーをつくったり、雪遊びは毎日変わった。様々な雪の表情や質感を、子どもたちは遊びながら学んだのだった。夢中で遊んで疲れると、その場で仰向けに寝転ぶ。灰色に曇った空から、止んだと思っていた雪がまたふわふわと羽毛のように落ちてくるのを、いつまでも見ていた。寒さも冷たさも、あのときだけはまったく気にならなかったのはどうしてだろう。大人になった私は自他共に認める大の寒がりだが、それでも今なお、雪がふってくるとあの頃と同じように空を見上げていることがある。毎日の仕事のあれこれや寒さによって、すぐに現実に引き戻されてしまうのだけれど。
工藤玲音の詠うこれらの「雪」を読んだとき、この白さを、私も確かに知っている、と思った。知っている、というよりも、もはや心身の一部と言ってもいいだろう。「東北」という雪のふる土地に生まれ、「東北」という土地で日々生活している人々にとって、「雪」とは決してただの自然現象ではない。あるときには土地の言葉で人なつっこく語りかけて顔をあげるように促してくれる「アカシアの花」である。たくさんの哀しみや寂しさに押しつぶされそうなときには、「無言でもいいよ、ずっと」とささやいて寄り添ってくれる。今も昔も、「雪」とはそんなあたたかく懐かしい友人なのである。
雪も寒さもすっかり苦手なつまらない大人になってしまっても、それでも「東北」に暮らす私たちは、きっと雪がふれば空を見上げる。雪だね、と頷いて、顔を見合わせて、ちょっと微笑み合ったり、あるいは涙ぐんだりする。そんな季節が、今年もまたやってくる。
「現代短歌」2022年1月号「短歌歳時記 師走から睦月」
※改題・一部修正しました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?