チカノベは障がい、LGBTQ+に生まれたことをどう思っているのか?

今回は、チカノベは障がい、LGBTQ+に生まれたことをどう思っているのかを語ってみた。

ひとりのクリエイター、チカノベの自分自身について語っていく記事を、今後も次々投稿しようと思っている。

みなさんも、自分はなぜ〇〇なのか?と思った理由を深掘りしてみたらどうですか?

自分のことがよく知れるし、記事にしたら、自分の個性を読者によく知ってもらえるし、ページに関心を持ってくれるかもしれません。

あらかじめ言うが、チカノベは永遠の5歳という設定でクリエイターをしている。自分ではあまりそう思わないが、精神科でそういう診断をうけた。

今回のテーマ

チカノベは障がい、LGBTQ+に

生まれたことを

どう思っているのか?

チカノベには、障がいがあり、性的少数者。高機能広汎性発達障がい、気分障がい、視覚過敏、バイセクシャル、Xジェンダーを持っている。

まずは、障がいやLGBTQ+が判明した経緯について、わかることだけを、時系列順に説明する。

発達障がいは、5歳頃に発症した。幼稚園に年中から入ってから、集団行動ができない子だった。

じっとしていられず、動きまわったり、先生にちょっかいをかけたり、先生を追いかけたり、裸足で歩きまわったりした。

幼稚園で歌うときは、オリジナルの振り付けをしたり、ステージに寝そべったりした。

キリスト教の劇は、比較的真面目にやったが、あまりやりたくなさそうだったらしい。年中では、クリスマスツリーの役、年長では天使の役をやった。

それでも幼稚園や友達が大好きで、帰りたくないと騒ぎ、延長保育をうけ、挙句の果てには、母親に担がれて帰った。

小学校にあがると、チカノベの障がいが判明する。入学式でじっとしていられなかった。みんな座っているのに、自分だけ会場を動きまわった。

チカノベには、入学時で動きまわった記憶はほとんどなく、写真では見たことはある。

チカノベの記憶に深く刻まれていない理由は、多分動きまわるのが自分のデフォルトで、日常的過ぎて、印象的ではなかったのだろう。

入学式のあと、入学時台無しにしたじゃないと言われた記憶だけ残っている。それを言われたチカノベはヘラヘラしていたと思う。

親は、校長から、こんな子は初めてだと言われ、おすすめの医院を紹介され、行ったとき、障がいが判明した。

当時は、発達障がいは有名ではなく、親も知らないことだったらしいが、原因がわかって納得したそう。

のちに知ったことだが、入学式に動きまわるのは、養護学校では当たり前のことらしい。

学校生活では、裸足で歩きまわり、授業にも集中しなかった。もちろん支援クラス。内履きをなくしたことがある。ものの陰から見つかった。

実は、近所の公園でも、上履きをなくしたことがあり、結構経ってから、公園の近くの茂みで発見された。

この頃から、人を楽しませることやクイズ大好きで、クラスではクイズを出す係を担当した。

絵本で見たクイズや、宿題に出たクイズ、創作クイズをみんなに出した。創作クイズは難しく、誰も答えられなかった。

入学式をした学校は、1年生まで通っていて、2年生からは地元の小学校に通うことになった。

その小学校では、チカノベが転校する前、転校先の同級生に、障がいのあるお友達が来ますよとか言っていたらしい。中学からの友達から聞いた。

転校してからは、2年生まで支援クラスで、男性の加配の先生がついた。

3年生からは、完全に普通クラスで、そのときまでついていた男性の先生ではなく、新任である女性の加配の先生が横について授業をうけた。

3年生以降、授業には集中しなかったが、元々頭が良かったため、勉強の成績は良かった。理科が得意だった。

頭が良すぎて、みんなが考える時間に答えを言い、みんなの考える時間を奪っていた印象。

学年が上がるにつれて、加配の先生は別の学年の支援が必要な児童につくようになり、高学年頃から、3時間目と4時間目だけついていた記憶がある。

5年生の冬から、精神科で服薬治療を始めた。その頃から非常に困っていたことがあった。

以前からも少し気になっていたが、毎日学校に遅刻するようになった。毎日担任の先生に叱られて泣いてばかりだった。

そもそも、みんなより、家から学校が遠く、歩いて30分はするのが苦痛で、吹雪いて雪の深い冬はもっとかかった。

6年生の後半には、朝の子ども番組にはまり、早起きできるようになった。

その前に、9月には修学旅行があり、チカノベが学生時代唯一行った修学旅行。仲の良いメンバーで最高に楽しんだ。

記憶はないが、朝は部屋の友達がみんなで一生懸命チカノベを起こしたそう。

ちなみに、チカノベは小6まで、友達に非常に恵まれていて、クラスの構成も、優しくて気を遣えて、協調性のある人で構成されていた。

隣のクラスの人たちは、給食をこぼした人がいても、誰も手伝わず、ただ見ている人ばかりだった。

このことを目の当たりにし、クラスの構成が何とか、先生の発言で、チカノベのために、このような人たちの構成になったと知った。

卒業式は、走りまわらず、静かに落ち着いて参加した。将来の夢は歌手と言った。20代前半くらいまで目指していた夢だ。今は目指していない。

卒業生全員参加のセリフは、元気いっぱいで明るいのチカノベに似合ったことを喋った。

関係ないが、ひとつ上の学年にいた、養護学校に進んだ自閉症の男子も、ちゃんとセリフを言っていたので、毎年全員参加のようだ。

合唱曲は、その年に流行ったドラマの主題歌を歌った。アーティストや曲名を言うと年がばれるが、前の年の人も同じアーティスト(別の曲)だった。

中学校は、地元でも人数の多い学校で、1年生は加配の先生すらいない、普通クラス。1年8組だった。1年8組には、個性的なメンバーがいた。

ヤギの真似ができる女子、小学校で同じクラスだった5人兄妹の人、名前が地元の小学校みたい(あだ名が〇〇小)な人、見た目が大人っぽい女子など。

チカノベは、中学校がいろんな理由で大嫌い。富豪になったら、小学校、市、精神病院、前仕事場に3千万円寄付したいと思っている。

中学校では、いじめや先生の対応などのせいで、いい思い出がなく、文化祭も高2で行ったきりで、思い入れがない。

今の仕事で、大人数で中学校の前を車で通るとき、中学校大嫌いと言っていたほど、中学校が好きではない。

先生方に嫌な仕打ちを受けていた分、手のかかる生徒だったと思う。っていうか絶対対処に困っていたはず。

中1の1学期後半から、男子たちに、障がいや個性の偏見やいじりなどあり、遅刻しがちになり、不登校になった。

いじめの内容(一部)は、美少女だったチカノベが中肉体型になり、デブと言ったり、遅刻して行けば、給食を食いに来たと言ったり。

机を蹴飛ばしたり、罵声を浴びせたり、言われたら恥ずかしい変な発言をされたりなど。口ばかりが多い印象。

男子は好きで気になっていじりたくてやっていたらしい。その男子はまつ毛が長くて、特徴的な目をしていたので、容姿だけ好印象だった。

勉強も、小学生の頃のようにできなくなり、定期テストは休んでばかりだった。

テストの結果は、通っていた小学校に知らされるらしく、もちろん休んでいることも知らされていた。

加配の先生の家に行った際に、チカノベと、小学校のクラスで月曜日必ず腹いたで休む男子がいつも休みと言われた。

1年生の末期には、相談室登校という特別扱いをされ、個別指導を受けていた。

2年生からは、支援クラスに入り、同じクラスには、1学年下の双子の男子(弟だけ)がいた。兄のほうとは、今の仕事場が一緒。

支援クラスに入ってから、同じ学年の知的クラスの男子と仲良くなり、付き合っているという噂が学校中で流れた。ヒューヒューと言われた。

実際は付き合っていなくて、ただの仲良しの友達だったが、学校以外で会ったらかなりうるさく、喧嘩になり、不仲になった。

2年生の2月末から3年生の春まで、精神病棟に入院し、若い人たちに障がい者(その人たちには「お前もだろ!」と思った)などといじめらた。

非常に居心地が悪く、入院が嫌いになった。病室では、漫画を描いて過ごした。

3年生では、知的クラスに1年生と2年生の女子が入った。2年生の子がかなりかわいかった。日本人形のような、小さな幼い見た目の子。

チカノベは、初めて女性に恋をした。ここで、自分がバイセクシャルということに気がついた。

当時は、LGBTQ+をおおっぴらにする人はいなくて、まわりからはレズと言われた。

学年主任にも、女性が好きなことは言ってはいけませんと言われた。その頃は、男女関わらず好きになることを誰にも理解されなかった。

3年生に、東京に行く修学旅行があった。チカノベも家族も、行けるものだと思って計画していた。

ディズニーランドには、小学校の頃から仲が良い友達と行動したかった。確か断られたから、支援クラスの担任と行動することにしたのかな。

自由選択や自由散策で行きたかった場所(順不同)は、宝塚劇場(なくなって東京タワー)、大倉集古館ポケモンセンターなどで、昼食に天下御免

ポケモンセンターで、当時全部のお小遣いを捧げるほどはまっていたポケモンカードを箱買いしたくて、港区に行くつもりだった。

乗る電車や乗り換えの電車を調べ、分刻みで港区の散策を計画した。この頃から、未来の計画が大好きだったのだろう。

まわりの子は渋谷109に服を買いに行く人がいたらしい。チカノベはポケモン大好き人間なので、絶対にポケモンセンターに行きたかった。

残念ながら、行けなかった。校長が、チカノベの精神状態か何かで行かせてくれなかった。入院治療していたのにね。

チカノベは、校長先生とはとても仲良しで、オリジナルのポケモン漫画や、校長室に招かれて、掃除したり、歴代の校長の話を聞いたりしていた。

とても信用していた分、とてもショックで、修学旅行を楽しんだ、ハイテンションな校長先生には怒り心頭だった気がする。

今は、ポケモンセンターにも、東京にも憧れがない。ポケモンは今は昔ほどじゃないけど、情熱は少なからずある。

母親は、仙台のポケモンセンターに日帰りツアーで行かせたかったほど、親も修学旅行に行かせられなかったことを悔やんでいたと思う。

東北地方の県を転々としていたチカノベは、幼少期に宮城県に住んでいたこともあり、仙台駅に行った経験も腐るほどあった。

中学校の卒業式は、予定と違うことはあったが、問題なくできたと思う。顔に腫れ物があったことだけは残念。

高校は、修学旅行のない学校に入り、就労施設に入った。そこでトラブルがあり、精神的に苦痛を感じ、6月末から11月初旬まで入院した。

そのとき、気分障がいと診断された。今考えると、中学校の不登校になった頃から発症していたのだと思う。

高校を休学し、退院したあと、学校は休みがちで、学費を非常に無駄にした。退院してすぐ、近くの精神病院のデイケアに通うことになった。

2年生からは、真面目に学校に通い、デイケアの魚釣りのイベントがあり、話し合いの日に、学校の再テストがあるので、勉強をがんばった。

親からは、見たことがないくらい勉強をがんばっていると言われた。

ほとんどの科目を高得点で合格し、親にスーパーで、当時集め始めていたリーメントの小箱(バラ売り)ひとつ買ってもらった。

魚釣りは、高1の遠足でする予定だったが、急に入院が決まったせいで行けなかったため、とてもやりたかった。

チカノベは、当時地元にできたばかりの弁当屋に電話で弁当を注文する係で、自身は当時の大好物のひとつ、カツカレーを注文した。

残念ながら、魚釣りのイベントは、天気が悪く、津波が来たため、行けなかった。弁当代は返金された。あれから現在も魚釣りは未経験。

高校は4年かかって卒業し、卒業後の進路は決まっていなかった。関係ない自慢をするが、同じ高校の男子(学年は上)で渋谷109に就職した人がいた。

チカノベが卒業後に希望していた職業は、大手のチェーン店。その会社は、医療機器?ファッションの一部になる製品を取り扱っている。

その職種は、チカノベの好きな分野の商品を販売していて、種類の名称をたくさん知っていて、向いていると思った。

チカノベの地元の地方でも、当時時給がいちばん高い障がい者枠で、就業時間も長く、とても就きたかった。

高1の頃に通っていた就労施設の方が今でも支援者で、チカノベにはハード過ぎる仕事だと思ったのか、就労移行支援を勧められた。

最初はただ働きをし、その年度の1月からは、賃金をもらって働いた。

仕事するのがとても楽しくて、仕事場の人たちも、いい人ばかりで、チカノベは仕事が大好きな人になった。

その仕事場で出会った人たちが、チカノベの性格や好きな女性のタイプを構成していった。

その仕事場の人たちは、純粋で基本的に悪い人はいないと思っていなくて、人が大好きで信用していて、幸せだと思っている。

その仕事場の人たちは、チカノベのことが大好きで、今でも連絡を取っているし、年2回仕事場に話をしに行っている仲。

家族企業で、理事長の娘2人が数ヵ月前まで、パートナーにしたいくらい大好きだった。

そのときから、好みの女性の見た目というものができ、自立した大人の女性を好むようになった。今では好きな人をやめ、かわいい人と思っている。

20歳頃、親が大変苦労して、チカノベの今まであったことを書き、障がい年金の申請をした。昔からずっと障がい等級1級。

賃金をもらう仕事を続け、ステップアップとして、今の仕事場に入った。

今の仕事場には、今のところ2027年夏頃までいるつもりで、収入の計算や、お金の使い道等計画している。

24歳頃まで、自分は女性だと思っていたが、違和感を覚えるようになった。自分は男性の心もあるんじゃないかと。

ここで、自分がXジェンダーだと気づいた。気づいた頃、性自認は女性が約7割、男性が約3割だった。

今年から、性自認が変わり、男性が強めになった。パッと見男性に見える髪型にもした。

元々背が高く、肩幅も広い。胸が大きくて邪魔。いらない。減量で小さくし、もっと中性的になりたい。

大変長くなったが、チカノベは障がい、LGBTQ+に生まれたことをどう思っているのか語る。

障がいに生まれてよかったと思っているよ。幼少から学生時代まで、苦労して、障がいに生まれたことが嫌だった。

でも今は、障がいに生まれたことを幸せに思っている。理由は5つある。

まずひとつ目は、10代以降に出会った好きな人病院の人、仕事の人などは、ほとんど自分が障がい者だから出会ってきた。

中学生の頃夢中だった男子。養護学校に通う人で、障がい者施設関連で出会った。振られたけど、過ごす時間は面白く楽しかった。

初めて好きになった女子。その子が入学時に見かけて、綺麗な子だなーとは思っていたが、支援クラスに入り、知り合えた。

元恋人。障がい者就労施設で出会った。別れたときはひどく落ち込んだが、チカノベの好きな男性のタイプが構成され、頼りになる人だった。

障がい者施設等ではないけど、高校の後輩。精神病院を転院したきっかけになった人で、感謝している。すごくタイプ。

数ヵ月前までパートナーにしたかった女性たち。障がい者ではないが、障がい者の支援をしている人。チカノベを夢中にさせた。

数ヵ月まで好きだったタイプではない男性。障がい者で、真面目に働く人。一緒にいて楽しかった。今は会っていない。

好きな人以外に、チカノベのクリエイター人生を応援してくれる年上の友達。

喧嘩を繰り返し、何度も友達をやめようとし、先月捨てられたと思ったが、今月復縁した。これからも大切にする。

その他、障がい者施設の支援員や利用者、精神病院のスタッフたち。障がいだから出会えた人たちがたくさんいて、障がいでよかったと思う。


2つ目は、医療費が免除なこと。10割免除で、身体の不調が多く、通院することの多いチカノベにとって変えたくない日常。

精神科、耳鼻科、歯科、眼科、循環器科にかかるほど、通院の機会が多く、医療費貧乏にならないのはありがたい。

特に、精神科や耳鼻科、最近は歯科によく通う。診察も薬もみんな国が払うので、体の不調に気づいたら、通院に喜んで行く。


3つ目は、交通費が半額になること。Suicaを作る前は、全額払っていたが、今は半額で市内まわれる。

主に、雨の日・冬の図書館通いや通院、ショッピングでよく利用していて、非常に便利。

欠点は、乗り放題はできないこと。無記名Suicaで、市外のお出かけや通院等に使えばいいそうだ。

チカノベは現在、市内しか通院しないため、無記名Suicaは持っていない。

チカノベは出不精なため、市内から出ることも仕事(市内に建物がある)の移動くらいでしか、隣町など行くことはない。

障がい者の方は、記名と無記名両方持っている人もいるよ。それで、広い市外をぐるぐるまわっている感じ。


4つ目は、あまり行かないが、映画館の料金が自分と同伴者、千円になること。

名探偵ピカチュウを観る際、どうしても観たかったが、欲しいリーメントがあり、躊躇した。千円で観られたため、あまり買い物に影響はなかった。


5つ目は、4つ目と似ているが、娯楽施設の料金割引。以前はもっと割り引いてくれたが、最近は利用料金と食事代がそれより少ない割。

代表ひとりだけ出せばいいらしく、障がい者だけの宴会では、同伴者の障がい者の手帳が役に立つ。


視覚過敏に関しては、大人になるまで気づかなかったが、今まで光の強い場所で具合が悪くなるのは嫌なので、今度生まれてくるときなくしたい。

最近は、節電されている商業施設は少なく、地元の最近できたスーパーでは、ギリギリの精神状態で過ごしている。

逆に暗すぎるのもだめで、某ハンバーグレストランチェーンは暗すぎてだめ。どちらかというと、明るすぎるよりはましたが、なんとかしてほしい。

長時間の外出時はサングラスが必須。ちょっくら近所のコンビニ(信号2つ)行く程度なら気にならない。

近所のコンビニは売場が節電されているが、日本の元祖大手コンビニ店では、全く節電されていなくて、アイウェアなしはきつい。

近所の程度によっては、サングラスをする。歩いて5分以上の道はサングラスを必ずする。

仕事場では、移動中はサングラスをし、職場に着いたら、個室のブラインドで日光を遮断し、PCメガネ着用でパソコンを使用。

個室のブラインドを開けたら戻すように、仕事場の人に話したが、時々開いたままのことがあり、あまり理解されていない印象。

POPライターの店では、サングラスは使用できず、度なしのPCメガネはギリギリ?許されている。

視覚過敏・サングラス着用を理解していない職場や日本人が多く、近いうちに視覚過敏の人が暮らしやすい国になっていってほしい。

未来、そのような社会なったら、障がいの影響で視覚過敏になっても構わない。障がいならば、来世でもセットでなる可能性大だと思う。

性的少数者に関しては、普通の性別に生まれたかったと思っている。バイセクシャルやXジェンダーで不便に思うこと、苦労していることがある。

性的少数者は、理解されないことが多く、チカノベは悲しんできた。特に家族から理解されず、今も悲しむことがある。

同性愛者と言われたり、と言われたりするのが嫌だ。髪が長いし、声が高いからと言っていた。

髪を切ったら女と言われなくなると思ったが、まだ言われている。生きている限り、ずっと女性でいるのは嫌。

いつ男(中性)になれるの?といつも悲観している。性別をなくしたい。男性らしさも女性らしさもある中性的な人間になりたい。

今度は痩せてみて、反応を伺ってみる。あまり期待していない。戸籍が女性で、女性として生まれたことは、簡単には変えられない。

女性が好きであることについても、今の法律では、女性同士では婚姻できない。将来のパートナーが女性であれば、悲しんだり苦労したりするだろう。

今度生まれてくるときは、普通の性自認で、普通の性的指向で、性格や個性等はそのままがいい。

今の人生で苦労したことは、一部なくしたい。チカノベは苦労人だけど、今生きていることは幸せだと思う。

来世、同じような人間に生まれたとき、なくしたい個性や性格、苦労、苦痛等は、


・頑固

・飽き性

・泣き虫

・落ち着きがない

・かんしゃく持ち

・お喋り

・かなりの暑がり

・聞きたい音が選べない

・大きい音が苦手

・信号機が理解できない

・視覚過敏

・小学校が遠い

・運動神経が悪い

・服薬

・いじめ

・遅刻

・不登校

・お小遣いが少ない

・支援クラスで友達と一緒に勉強できない

・中学生のお金の無駄遣い

・慢性鼻炎

・入院

・給食嫌い(特に病院)

・中学校の勉強の遅れ

・中学校に馴染めなかった

・激太りで制服を毎年買い替える

・修学旅行に行けなかった

・普通高校に通えない

・高校の学費

・高校卒業に時間がかかった

・18歳までおしゃれ禁止(メイク、ネイル、ヒールのある靴等)

・行きたい専門学校に進めない

・まともな職に就けない

・家族に生活面・経済面で依存

・けなされる、感性を否定される

・頻脈

・性別に困る

・じんましん、アトピー、皮膚炎、乾燥肌

・図書館が遠い

・話を聞かない

・失敗ばかりする

・物覚えが悪い


来世に引き継ぎたい個性や性格、苦労、苦痛等は、

・発達障がい

・障がい等級1級

・身長

・幸せ

・純粋

・人が大好きで信用している

・もの作りが好き、ブロガー、クリエイター、作家志望

・歌がうまい

・昆虫・動物大好き、生物のテストが得意

・北日本生まれ

・友達に恵まれる

・野菜大好き

・生きがいがある

・絵を描くのが好き

・趣味に生きる

・何にでも興味を持つ

・頼れる家族・きょうだい・友達・支援者がいる

・目上の人や年上の人からかわいがられる

・人に頼られる

・勤勉

・体の柔軟性

・歯並び

・髪質

・寒さに強い

・青が好き

・計画好き

・難しい事柄・思い出・雑学等の記憶力

・自分のお金で好きなものが買える

・毎月決まった金額預金できる

・何でもおいしく食べる

・本が好き

・インターネットが好き

・豊かな暮らし

・勉強が得意

・考え方、価値観、感性

・友達に恵まれる

・その他、今好きなもの全て


チカノベは、生まれ変わったら自分になりたいが、今からでも直したいところや、来世では経験したくない苦労や苦痛がある。

そもそもチカノベは中学校の職場体験でやってしまった残酷過ぎる経験で、天国に行けないと思っているため、生まれ変わることも期待していない。

チカノベにも人間の心はある。過去の残酷な過ちは、チカノベの意志でやったことではない。職場体験のスタッフに言われて逆らえずやった。

もし生まれ変われるのであれば、チカノベほどの苦労人ではないが、個性や性格等引き継いで、また自分に生まれ変わりたい。

性的少数者にはもうなりたくない。来世では、今より幸せで、もっと恵まれて、いい暮らしをしていることを祈る。

以上!


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