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明日、明日、また明日
2022年に出版されて、すごく話題になって、何度も手に取ったものの、表紙が、エセジャポニズムな感じが苦手で今まで読んでいませんでした。あ〜、私のバカ、バカ!
この表紙にはちゃんと意味があったのです。。。そして、もちろん、マクベスのセリフから取ったタイトルにも。
著者のガブリエル・ゼヴィン自身が、ユダヤ系の父親と韓国出身の母親とのダブルであり、両親ともIBMで働いていることが上手に、この作品に落とし込まれています。
前回ラオス出身でタイの難民キャンプからカナダに移住した作家の本を読んで号泣していたため、最初、この本の主人公がMITとハーバードというところで、少し白けてしまったんですよね。
でも、それを覆すストーリーの力を見せてもらいました。主な主人公の3人のうち2人がアジア系というのも親近感を覚えました。セイディはカリフォルニアの比較的裕福なユダヤ系の家出身でMITに通っています。サム(サムソン)はユダヤ系の父親と韓国系アメリカ人の母親との間のダブル。父親とは暮らしたことがなく、母親に育てられ、のちには母方の祖父母にカリフォルニアで育てられ、ハーバードに進学します。二人はサムが10歳の時に病院で知り合い、その後疎遠になっていました。
もう一人の重要な主人公はマルクス・ワタナベ。サムのハーバードでのルームメイト。彼も裕福な家で育ち、日本人の実業家である父親と韓国系のデザイナーの母親との間に生まれたダブルです。
この3人が、大学時代に知り合い、ゲームを作りヒットさせ、会社を立ち上げます。もちろん、順風満帆だったわけではなく、紆余曲折があるのですが、それがちょっとした嫉妬心や猜疑心だったりする描写も見事です。そして、彼らが作るゲームも、日本の神話にモチーフがあって、実は、そのモチーフとサムに類似性があるのも、憎いところ。
「ナイフの発音」に比べると、彼らの悩みやすれ違いは、「持てる人の悩み」と思えるのですが、大学生と日々接している身としては(ハーバードやMITランクではありませんが)、すごくわかります。
ともあれ、ストーリーの力に圧倒されました。今までにない男女関係、愛情を書いていて読ませます。仕事における信頼性や、ものを作り上げる辛さと喜びを共有する特別な関係は、「惚れた腫れた」とは別の、それでいて同じように尊い関係であることを、きっちり描いてくれています。この愛情は決してロマンチックな愛情に劣るものではなく、男女間の愛情や、親子・親族の愛情と同等であることも、サムの祖父により示されていきます。
そして、それはゲームにも通じるところがあること、また、煎じ詰めれば、全ての人生はストーリーに左右されていること、語りの力、を再認識しました。
全てはゲームであり、ゲームではない。リセットできないこともあれば、自分の解釈や成長に伴ってリセットできることもある。恵まれた人たちの話でありながらも、彼らの悩みや感情には、多くのアメリカ人は共感できるのではないかと思います。実際、私の学生にもこの作品のファンは多いのです。が、大学に行ってない(実はマジョリティ)に、この話はどう映るのか、気になるところです。