「宗教」とは「宗(=祖先)」の「教え」である
あなたの宗教は何ですか?
多くの日本人が宗教を信じていませんと答えるでしょう。
「無宗教」であるとか、よく言うところでは、正月は神道、結婚はキリスト教、クリスマスを祝って、葬式は仏教、、、八百万の神を信じるとか。
そもそも「宗教」とは何でしょう。
何かの「教え」というのは分かりますね。
仏教なら、「仏」さまの教えを大事にし、
キリスト教なら、「イエス・キリスト」の教えを大事にする。
ユダヤ教でも、「ユダヤの経典(旧約聖書)」に従い、
イスラム教でも、「イスラムの経典(コーラン)に従う。
私たち日本人は、こういうものを一括りに「宗教」と呼んでいます。
(神道というのは、少し毛色が違くて、神に至る道という意味を含んでいることを考えると、文字通りには、上記の宗教とは違うように感じます。これはまたいずれよく考えたいところです。)
つまり、ああ、この人(著書)の言うところに学ぼう、教えを乞おう、それを大事に生きていこう!
人生の指針を与えてくれる教え、人生を賭けて信頼できる教えが「宗教」であると言えそうです。
「宗」とは何か。
「宗」は「大元(おおもと)」「祖先」を意味します。
日本語において、日本人にとって、宗教とは「祖先の教え」という意味なのです。
さらには「御魂家(みたまや)」「祖先をまつる所」を意味します。
墓は死者が眠るところではなく、ご先祖さまの魂を祭るところといえるでしょう。
ご先祖様を祭るところ、先祖のお墓に手を合わせて、その繋がりに感謝をする。この行為が宗教心の現れで、宗教的行為であると言えるでしょう。
日本の先祖を大切にする。
今を生きる人は、
先祖の行いと継承されたもの(命、稲作、豊かな土壌、山々、清らかな水、空気、大きな和を大切にする社会性・・・)に感謝し、これを大事にして、次世代に継承する。
すると、いずれ自分も日本の先祖の一部となって、「宗」の仲間入りをする。
自分が継承したものを、同じように子孫に継承することは、
子孫のためだけでなく、やがて自分に帰っても来て、自分のためにもなる。
「宗教」において、そのおおもとは未来の自分であるともいえる。
しかし、そのためには子孫への継承が不可欠でもある。
今、私が、子孫のために為すことは、将来の自分のためにもなっている。
あらためて、日本人である私の宗教は、日本のご先祖様を信じること。
ご先祖様に感謝をして、継承したものを子孫に託せるように、大切にすること。それは同時に、私自身を信じて、この存在に感謝して、大切にすること。
そう思うと、一人の人間を崇めて、云々なんていう~教と、
日本の「宗教」の次元の差があまりにも違くて驚いてしまう。
(吉野敏明先生の「大和魂」のお話にも繋がるかな。)
あなたの宗教はなんですか?