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【世界史論述試験対策】ひとまず読んで流れを理解する!んで書け!その1

国立大学☆私は400字の論述試験が4問出される国立大学に合格した者です。できるだけ毎日1テーマずつ、訂正を繰り返しながら先生に添削していただきました。

学校や塾のノートに貼り付けたりして、参考にしていただければと思います。とにかく数をこなせ!

バラバラに残っていた当時の原稿をアップしていきます。テーマが思い出せないものは大まかなテーマをつけています。添削はされていても完璧な答案とはいえない場合があります。ご了承ください。

●ヨーロッパによるアジア支配の完成

18世紀、イギリスは東インド会社を通じ、インド綿布や中国の茶などを輸入する片貿易を始めた。インドや中国には大量のが流入した。産業革命前はアジア側が貿易で利益をあげる時代であった。産業革命により産業資本家が力をつけたイギリスは、貿易を独占していた東インド会社に対し、1813年には対インドの、1833年には対中国の貿易独占権を廃止し、商業活動自体も停止した。機械製布製品が逆に大量に流入したインドはイギリスの産業成長を支える綿花などの原料を輸出する側へと転落。中華思想を持ち自給自足国家である中国への一方的なアヘン密輸を招いた。ここにイギリスの三角貿易体制が完成した。また、18世紀にジャワ島の大半を支配したオランダは、現地民の反乱を鎮圧したことによる財政難を克服するために現地民に商品作物を栽培させて輸出する強制栽培制度を行った。西欧のアジア支配が確立した。

●フランスのインドシナ支配

1802年、阮福永は仏人宣教師ピニョーの支援でユエを都に阮朝を建国。中国の清朝に承認され越南国の称号を得た。一方ベトナム進出を目指すフランスは、口実をつけて1858年に仏越戦争を起こした。フランス側が勝利し、サイゴン条約でコーチシナ東部を得た。まもなく西部も支配下へ入れた。これに対し、劉永福が黒旗軍を率いて抵抗したがフランスの進出はくい止められず、ベトナムは1883年のユエ条約で保護国となった。儒教思想に基づく君臣関係からベトナムの宗主国を主張する清はフランスと敵対し、翌年清仏戦争へと発展した。敗れた清は1885年の天津条約で宗主権を手放し、フランスの支配を認めた。これにより、1863年以来保護国となっていたカンボジアを合わせて、1887年フランス領インドシナ連邦(都はハノイ)が成立した。1899年にはラオスも加え、フランスのインドシナ支配が完成した。

●アメリカ独立革命がフランス革命に及ぼした影響 (歴史や主体となった人々の違いを意識して書くと良い)

アメリカ独立革命の主体となったのは、平等な植民地人の愛国派の人々である。移民から成る新しい社会であるため、貴族や封建領主が存在しなかった。「独立宣言」はロックの自然法思想に基づく基本的人権と革命権が反映され、独立の正当性を主張している。革命後に出された合衆国憲法は、国民主権や連邦制、権力集中を避ける三権分立を基本としている。1789年には憲法のもとに連邦政府が成立し、共和制が確立した。一方、数千年の歴史と伝統を持つフランスでは、革命の中心となったのは絶対王政に反発する市民と領主制廃止を望む貧民である。1789年に出された「人権宣言」は米独立宣言とルソーの国民主権に基づいている。1793年に王を処刑して後、一時公安委員会を中心に独裁政治を行うことがあったが、共和制へと移行した。フランス革命は絶対王政や封建的身分制を撤廃し、近代国民主権国家確立への原点といえる。


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