なぜ彼らは他者の痛みに鈍感になるのか？ 〜共感力の低下を精神分析的に考える〜

近年、残忍な犯罪や冷酷な行為が報道されるたびに、「どうしてこんなことができるのか？」と疑問を抱く方も多いのではないでしょうか。

他者の痛みをまるで感じないかのように振る舞う人々——彼らには、共感する力が決定的に欠けているように見えます。

私たちは通常、誰かが悲しんでいたら寄り添い、苦しんでいたら手を差し伸べようとします。しかし、そうした「当たり前」の感情が失われるとき、人間はどのようにして冷酷な行動を取るのでしょうか？ 精神分析の視点から、この問題について考えてみたいと思います。

共感力とは何か？

共感力とは、簡単に言えば「他者の気持ちを想像し、それを自分のことのように感じる能力」です。共感には、大きく分けて2つの側面があります。

1. 情動的共感：相手の感情を感じ取り、自然と心が動かされること（例：悲しんでいる人を見ると、自分も悲しくなる）。

2. 認知的共感：相手の立場を想像し、何を感じているかを理解すること（例：相手がどんな気持ちかを考え、適切に対応する）。

共感は、親子関係や社会的な関わりの中で育まれていきます。特に幼少期、親や養育者の愛情を通して「自分は大切にされている」と感じることが、他者を思いやる力の基盤となります。

しかし、この発達過程に問題が生じると、共感力が育たず、自己中心的な行動を取りやすくなるのです。

共感力の欠如の背景：精神分析的視点から

精神分析では、人の心の成長において「自他の区別」が重要だと考えます。私たちは、最初から他者の痛みを理解できるわけではありません。成長の中で、次のようなプロセスを経ることで、共感の能力を発達させます。

1. 「鏡像段階」と共感の基盤（ラカンの理論）

幼少期の子どもは、母親や周囲の人々の反応を「鏡」として自分を認識し、徐々に「自分」と「他者」の境界を学びます。

このプロセスで、他者の表情や行動から感情を読み取る能力が育ちます。しかし、この段階で適切な応答を受けられなかった場合、他者の気持ちを理解する力がうまく発達せず、自己中心的な視点に固執しがちになります。

2. 超自我の発達不全と倫理観の欠如（フロイトの理論）

フロイトは、社会的ルールや道徳を司る「超自我」が、親や社会の影響を受けながら形成されると考えました。健全な超自我を持つことで、人は「これをやったら他者が傷つく」と想像し、自らを律することができます。

しかし、家庭環境の不安定さや、過度に厳格あるいは放任な教育によって超自我が未発達になると、自己の快楽を最優先し、他者を軽視する傾向が強まります。

3. 防衛機制としての「否認」や「投影」

人は、自分の内面にある不安や罪悪感に耐えきれないとき、それを「否認」したり、他者に「投影」することで心のバランスを保とうとします。

例えば、自分の不安や孤独感を認めることができず、他者を攻撃することで心の安定を図ることがあります。これが繰り返されると、他者の痛みに鈍感になり、攻撃的な行動に拍車がかかるのです。

共感力の低下を引き起こす現代社会の要因

私たちの社会の変化も、共感力の低下に大きな影響を与えています。

1. デジタル社会と人間関係の希薄化

SNSやオンライン上のやり取りが増える中で、対面でのコミュニケーション機会が減少しています。他者の表情や声のトーンから感情を読み取る機会が少なくなり、「人の気持ちを想像する力」が育まれにくくなっています。

2. 自己中心的価値観の強調

「自分らしく生きる」「個性を大事に」といった価値観が広まる一方で、「他者と調和すること」の重要性が見過ごされがちです。その結果、「自分さえよければいい」という考え方が蔓延し、他者を思いやる力が弱まっています。

3. 過度な競争とストレス社会

競争の激しい社会では、自己防衛が優先され、他者に共感する余裕がなくなります。特に、成果主義が重視される環境では、他者の感情に寄り添うよりも、自分の利益を守ることが優先されがちです。

共感力を取り戻すためにできること

共感力の低下を防ぐためには、私たち一人ひとりが「他者を思いやる習慣」を意識的に持つことが大切です。

1. 日常の小さな対話を大切にする

家族や友人との何気ない会話の中で、相手の気持ちを汲み取る訓練をしましょう。「どう感じた？」「今どんな気持ち？」といった問いかけが、共感を深めるきっかけになります。

2. 他者の視点に立って考える機会を増やす

本や映画を通じて、異なる立場の人々の経験に触れることは、共感の幅を広げる助けになります。特に、現実と違う世界観を知ることで、「他者には自分と違う現実がある」ことを理解できます。

3. 感情を言葉にして表現する習慣をつける

自分の気持ちを適切に言葉にすることで、相手の感情を理解しやすくなります。「嬉しい」「悲しい」「不安」といった感情を素直に表現することは、共感力の向上につながります。

おわりに

他者の痛みに共感する力は、人間関係を豊かにし、よりよい社会を築くために欠かせません。

しかし、現代社会において、その力が弱まっていることも事実です。私たちが日常の中で他者を思いやる小さな行動を積み重ねていくことが、共感力を取り戻す第一歩となるのではないでしょうか。

共感とは、「他者の心の中に自分の居場所を見つけること」。今こそ、私たちがこの力を大切にし、育んでいく必要があります。