見出し画像

女性らしさについてのつぶやき

○○らしさについてテーマを掲げることは
少し勇気が要りますね。

なぜならば、異なる意見をきちんと読んで咀嚼して、
自分の中で様々な角度からとらえようとせずに、
言葉の表層だけを「見た」だけで導火線に着火させて、
集中砲火を浴びせる手法をえらぶ人に見つかりたくないからです。

人によって様々な考え方があってしかるべきだと思うし、
容易な算数の問題みたいに、
「正解はたったひとつ」ではないでしょう。
ましてや、女性らしさを見た目だけで判断したくもありません。

ですから、今回ここに書く私のつぶやきは、
全員に強制しようという内容ではない事を前提としている
と理解したうえでお読みただきたいです。

現代のように、自由に生き方を縛られることなく、
自分の心に従って選べる時代になっていることは、
とても素晴らしいことだと思います。
この自由な風潮に賛成します。

ただ、ひとつだけ残念に思うのは、
生き方を自由に選ぶことができたのにもかかわらず、
女性らしさについて考えたり、触れたりすることを
避けてしまっているような気がします。

じゃあ、そもそも女性らしさって何だろうと思い浮かべた時、

男性にウケる=女性らしい

という視点でだけで、女性らしさを捉えようとする人が
一定数いるのではないか?
と感じるのです。

そこから派生して、
モテは私には要らない。
カジュアルで、カッコいいオンナがいい。
という流れになったのかな?と感じます。
カジュアルでカッコいいオンナの見た目とイメージだけを
粗雑で、気を遣わなくてもいいと解釈したのでしょうか。
カジュアルなオンナの方が断然、気軽に真似しやすかった。
という側面もあるような気もします。

本来の女性らしさって、
胸の谷間を強調するものでも、
これ見よがしに、太ももをさらけ出すものでもないと思います。
それを対価として、男性にご飯を奢ってもらったり、
高価なものを買ってもらうための武器でもない気がします。

もっと内側に着目したいのです。
女性特有の、共感の能力に長けている部分とか、
感情を大切にすることろだったり、
色々と気が付くことだったりするのではないでしょうか。

私自身は、共感性に乏しいですし、
感情も豊かな人間ではありません。
考え方が、女性らしくないと色々な人から言われます。
だからこそ、余裕のある女性らしさに憧れるのだと思います。
だから敢えて書いているのです。

電車に乗ると、きれいな女性が沢山乗っています。
素敵なファッションに身を包み、
長い髪は、時間をかけて手入れしたことが伺えます。

ところが、よく見ると、
スマホに夢中になるあまり、
口が半開きのままスマホを弄っていたりします。
お友達の人数が増えると、比例して声も大きくなりがちですよね。
折角、おしゃれをしてきれいな子が、
電車の車内で、大口を開けて手をたたいていたりします。
「ま~じか。めっちゃウケるぅ。」
同性の私であっても眉をひそめたくなります。

周りに不快感を与えていないのか、
立ち止まってみたらいいのになと思うのです。

この年になって感じるのは、
カジュアルなオンナをはき違えると、
年を経るにつれて、ただの厚かましいオバサン
になってしまうリスクがあると思うのです。

パブリックのスペースでは
ほんのひと匙でいいので、
女性らしさを意識してもいいような気がします。

それぞれの人がきちんと、
女性らしさって何だろうと
考え直す機会があるといいなと思うのです。

きっと、女性らしさだけでなく、
じゃあ、男性らしさって何?
と、考えることになるんじゃないかとも思います。
最終的に思考は、人間らしさって何だろう
というところに行きつくでしょう。

思慮深さと思いやり。
これは、男も女も関係ないと思います。

結果的には、一人ひとり、考える作業を止めなければ、
自分自身にも、他者に対してもそして、世の中に対して
少しずつ優しくなるはず。

と、淡い期待をもってこのつぶやきを終えたいと思います。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?