ちょっと人より賢い奴!!ついに君もバカに。。
こんにちは。
東京特許許可局局長専属顧問弁護士自宅警備員代理候補ではない塚本です。
今日は前回に引き続き、ちょっと賢くて真面目な奴が、バカから搾取されないための処世術を書きます。
バカから身を守り、楽しく正しく人生を謳歌しましょう。
バカの全てが悪ではない。
前回から、さんざんバカをバカにしてた記事を書き、これからもさんざんバカをバカにする塚本ですが、バカはバカだからと言って、全てがだめなのか?というと、そうではない。
私たちがバカに習うべきこともある。
バカはバカゆえに、思考に結論を出すのが早い。
つまりバカは、行動が早いというわけ。
ただし!自分がバカだと自覚していないバカは、いつまでもバカな思考に振り回され、行動できないバカ(自称賢い)となる。
これは最悪で、煮ても焼いても食えたもんじゃない。
だが、バカと賢いものとの違いは絶対的な指標があるわけではなく、決まって相対的だ。
いまいる環境で賢いものであっても、いざ外の世界に出てみれば、自分がバカだと気づかされることがある。
それに、自分の能力や信念を、いつまでも信じ切ることが出来ないということは、賢さと裏腹に「自分を信じられない」ということを信じているのと同じで、凝り固まって変わらないのであれば、それはバカと同じだ。
考えた後は、素直に行動しなくては、バカと同じである。
むしろバカは、行動するという面において、行動しない賢いものより優れている。
たとえ世界を救う発明をしたとしても、それを世に出さなければ何もしないのと同じだ。
それに、バカと賢さとはそれぞれの物事によって、同じ人でもバカと賢さが両立する。
ある面では、柔軟で行動力もある賢いものであっても、別の面では凝り固まって他人の話を聞かない。
そうであれば彼は、バカでもあり、賢くもある。
一部の面がバカだからと言って、その人の全てをバカだと断定するのは、それ自体がバカだということ。
胸に手をあて、しっかり自問を繰り返し、万全の体制を用意してから「あなた、バカね」と発しなくてはならない。
バカをバカだと断定すること自体が、バカでもあるのだから。
そうなると私たちは、賢くあろうとすればするほど、何も信じられない。何も決定することが出来なくなってしまう。
賢いものは、一体どのように生きればいいのだろうか。
答えは簡単で「決定し行動するなら、バカになる」
賢きものよ。バカになれ。
私たちは、何もしていなくとも時間が流れ、外の世界の状況が変化する。
行動しない。というのは停滞なんかではなく、行動しないという行動なのだ。
物事を考え、世界とどのように付き合うのか考慮することはとても大切だが、いつまでも思考を巡らせていても、私と世界の関係性が変化することはない。
私たちは、思考の先に行動を促される。
行動なくして結果は生じない。
何も信じることが出来ない賢いものは、いつまでも思考を巡らせ行動を怠る。
それなら、バカの方がマシである。
賢さは、行動や選択を深堀りし、より洗練されたものを生み出すが、
深く入ったのなら、そこから出てこなければならない。
でないと、何も生み出さない。
行動への最短距離は、もっともバカになることだ。
右に進めば、左から遠ざかる。
上に登れば、落ちることだってある。
考えている間は、そこから動けないのだ。
思いを切る。思い切り。
リスクとは、想定し受け入れれば、もはや私たちを縛る鎖ではない。
3歩進んで2歩進む。
ひたすら突き進む。猪突猛進。バカなのか?ええ。バカです。と。
進むまではあらゆる問答が役に立つが、一歩進み始めたのなら、使うのは頭でなくて足だ。
最もバカになれるものが、もっとも多くを得る。
私たちは、バカにすらなれないバカなのか?
もしそうなら、バカにバカだと笑われるのは賢いものたちだ。
考えるのも問答も、とても良い道具だ。
ただあくまで道具は備えでしかない。
確認作業は万全か?
それならさっさと現実にダイブしろ。
賢さとは、行動のための道具だ。
いくら賢いものであっても、彼の中には常に「賢いもの」と「バカ」が両立している。
わたしたちは賢さを利用して、自分の中にいる「バカと共に生きる」すべを学ばなくてはならない。
思考が済んだのなら、一番のバカになって、忠実に行動しなくてはならない。
いつまでもそこで根を生やし、賢さがあなたを縛り付けるのであれば、あなたは賢いとは言えない。
どちらを選ぶか?というのは傲慢で、
私たちは、どちらを切り捨てるか?を迫られている。
彼は待ってくれない。名前は「時間」という。
リスクを想定したのなら、それを受け入れ切り捨てる。思い切り。
笑われたってかまわない。あなたは遠くに行くのだから。
準備は出来たか?
なら、進もう。
賢きバカとして。