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〇〇すると子どもが幸せになれないという主張をしてみた

※タイトルを変えました。

子ども向け習い事(学習系)の講師業に就いて4年。

仕事柄何人もの子どもを見てきたけれど、たいがいの子はググッと伸びる時期がある。

来た時からデキる子もいるので、生徒全員ではないのだけど。

突如計算が速くなったり、テキストの文章を一人で読んで理解できるようになったり、アイデアが無数に湧いたり。
時期に個人差はあるけれど、2年も見てれば1回は必ずある。

その度に、子どもってすごいなと感じるのよ!
だから、その気持ちをまっすぐ言葉にして伝えるようにしてる。

その積み重ねで自信もつくのか、さらに加速して伸びる子がほとんどなのだけど、同じことをやっても伸びがストップしちゃう子どももいる。


そういう子どもの親や祖父母には共通点があった。
絶対に子どもを手放しで褒めないのだ。
子どもが側で聞いていたとしても

ここではできるけど、学校ではできない、とか。
好きなことはするけど宿題はしないとか。
講師がどれだけ「こんなことができるようになった」といっても、絶対その子を否定する言葉で終わる

コレ、本当にやめてほしいなって思う。
でないと、今後この子がどんなに優秀になっても、社会で成功しても、心の底から幸せを感じることはできない(もしくは感じるまでに気の遠くなるくらいの時間がかかる)と経験上からも断言できる。


なぜなら、自己肯定感が低いままだから

自己肯定感はありのままを認めること。
根拠は必要なく、自分で自分を認めていればいいものだ。
でも、本当に最初からなんの根拠もなく自分を信じれるものなら、生まれた瞬間からみんな等しく持ててるはずじゃない?
そうでない人がいるってことは、(遺伝子のような物理的な問題じゃなければ)最初の最初は自分を信じるに足る根拠があるんじゃないかって思うんだよね。

私は、その根拠は側にいる近しい人(親、祖父母などの同居家族)に認めてもらう経験だと考えてる。
自分は他人から認識されて初めて自己を認識できるもの。
自分が人生で最初に所属するコミュニティが家族であり、そこで認めてもらった経験で自己を認識し、ありのままを認められるようになる、といった感じ。

だからこそ、育児雑誌には「子どもの自己肯定感を高めるためには、親が子どものありのままを認めていることを伝えることが大事です!」なんて書かれてるんでしょ?

当たらずとも遠からず、といったところじゃないかな。


外では謙遜してるだけで、家では褒めてます!って反論もあるかもしれない。
けれど、それこそやめたほうがいい。
子どもは謙遜か本音かなんて察知できないので、疑心暗鬼になっちゃう。

そもそも、謙遜は自分に対してするもので、他人である子どもに対してするのは間違ってると思う。

子どもへの賞賛は子どものもので、親や保護者のものじゃない。
子どもは親の所有物じゃない
子どもは自分とは切り離して考えるクセをつけることが大事だと思う。


他人に自分の子どもを褒められたら、「ありがとうございます、うちの自慢の子どもなんです」くらいに答えてちょうどいい。
こう言われて嫌な気分にならない子どもはいないハズ。
この積み重ねが自己肯定感につながっていくと確信してる。

講師という他人がいくら認めても、それは底に穴が空いたツボに水を入れ続けるようなもの。
まずは家族の承認でツボの穴を塞いでこそ効果がある。

子どもが誰か褒められたら、恥ずかしがらずに一緒に子どもを手放しで褒める。
講師からのお願いを心の片隅に置いてもらえたら嬉しいなあ。

今日はそんな気分。

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しましま@人生愉しむタノシスタ
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