
人間関係の広さ、深さについて考えた日の話
「〇〇(上の子)に覇気がなくて心配してます」
習い事の面談で先生に言われた。
小さい頃からの付き合いで、週一とは言えウチの子のことをよく知る彼は本質を見抜く力がありる。
10歳くらい下だけど、出会った時から問題解決のためのPDCAサイクルもしっかりでき、解決のためのアイデアも豊富な彼。
子どもの意図を最大限尊重してサポートできるこの人は、先生になるべく生まれた人だなあと尊敬し、全幅の信頼をおいている
今回も彼なりの仮定があるらしい。
体調の悪さはあるけれど、家では結構楽しそうなんだよなあ…
ただ、好奇心を行動に移すときに腰が重すぎることは気にしてて、「彼は本当は何がしたいんだ?」と最近よく思ってたんだよね、などと話しつつ彼の仮定を聞くと、さもありなんって感じ。
「一回、腰据えて本人交えて話します?」
と言ってもらって、翌日アポを取った。
次の日。
用事を済ませて少し遅れて合流したら、ちょっと空気が重い。
と言うか、戸惑い?
上の子がめちゃめちゃ緊張してるのがわかる。
「学校楽しい?」
「楽しいよ」
「何が楽しいん?」
「うーん、授業は楽しいかな。おもしろおかしく説明してくれたりするし」
全然楽しそうじゃない顔で喋ってるんだけど!そう思ってたら「まずな、楽しい言う割には全然そんな顔してへんねん」と先生が笑ったw
家ではね、友達のこととかめっちゃ楽しそうに喋るんです、なんて様子をフォローしつつ隣を見ると、やっぱり顔がこわばってる。
「昨日は体育でバスケやってすごい楽しかったって言って。やっぱ体動かすん好きかもって言うから、運動のクラブ入れば?って言ってたんですよ」
「ほうほう。どこが楽しかったん?」
そう振られると、上の子は前日のことを話し始めた。
シュートを決めて勝ったこと。
結構パスカットできてチームメイトに褒められたこと。
頑張りすぎて友達と接触して流血してしまい、途中で抜けて悔しかったこと…。
話していくうちにちょっと前のめり。
おや?今日一よく喋るぞ(そして熱がこもってる)
先生も感じたようで、どんどん話を引き出してくれる。
体動かすの好きか?
バスケ以外に好きなスポーツは?
スポーツのどういうところが楽しい?
スポーツと同じ楽しみを感じるもんって他にある?
段階を踏んで色々投げかけてくれる質問に答えていく上の子は、段々言葉数が多くなり、目にも力がこもってきた。
ひとしきり聞いて先生と目を合わせる。
「わかったね」
「ですね」
ここまで聞いてもらったら私でもわかる。
上の子は純粋に勝負することが好きだったのだ。
でも今、彼が競えるものは勉強とゲームくらい。
けれど、勉強は本人的に【勝負事】とは捉えてないので、実質ゲームのみ。
環境的に不完全燃焼だったのでした。
勝負事は楽しいらしいことは感じていたけれど、子どもの話を聞く限り【こだわって】勝つことに重点を置いてる気がしてた。
そもそも「勝ち負けを競う環境にいたい」くらいまで好きとは思わなかった。
これは本人も気づいていなかったようでビックリ。
それからは日々の生活にゲーム以外でどう勝負事を取り入れるかについてアイデア出し。
ちょっとこちらが話すと、それに呼応して子どもの口から次々案が出て止まらないw
アイデアをもとに戦略を練っていく。
最後は行動するにあたって困ったことがあったらいつでも連絡してきいやー、と言われてお開き。
帰るころには血色も良くなり、ニコニコ☺️
話してもらってよかったなーと私もほっと一安心で帰路に着いた。
++++
自分が属するコミュニティは多いほうがいい。
親には言えること、言えないこと
友達に言えること、言えないこと
週一でしか合わない習い事先の級友には言えること、言えないこと
身近な大人には言えること、言えないこと
いろんな繋がりがあれば、その都度自分を出す場所を選べる。
一つの場所で悩んでても、別の繋がりで解決策を見出せたりする。
一つがダメになっても、他で健やかにいられたら日々楽しくすごせるはずだ。
ただ交友関係を広く持つことをすすめると、『広く浅く』がいいのだと感じてしまう人がいる。
確かに人間関係は広く浅くか狭く深く。
どちらがいいのかと議論になることもある。
でも、そもそもなんでその2つしかないと決めつけるのかな?って思ってた。
私は『広く深く』だって実現可能だと思うんです。
例えばお昼。
ラーメン食べたい時はこの店
洋食食べたい時はあの店
ハンバーガーだったらあそこ
のように、カテゴリー別にお気に入りを作っておいて、その日の気分でカテゴリーを選び、それに紐づくお店に決める。
それを日々繰り返しているハズ。
カテゴリーは広いけど、カテゴリー内の選択肢は狭い。
この店!と決めているんだから深くなる。
これって『広くて深い』と言えるのでは?
だとしたら、人間関係もこれと同じことができるんじゃないの?って思う。
カテゴリーは広く、けれどその中で狭く深い付き合いをする人を作る。
つまり『その時々で言ってほしい言葉をかけてくれる人を選ぶ』ことができることが一番いいんじゃないか、と思う。
とはいえ『言ってほしい言葉をかけてくれる人』をどう捉えるかで適切な人間関係も変わるかもしれない。
いつも後押しが欲しいなら狭く深い付き合いでいいかもしれない。
私は迷った時はいろんな視点から物事を捉えるきっかけが欲しいから、『いろんな選択肢の中から選べる』広い環境が必要だ。
少なくとも私にとって一番いいのは、広い範囲の中で深い友達を複数見つけることか、広げようとする意識のある人と出会って深く付き合うか、なんだろうなと思う。
それにしても、良いつくづく人に恵まれる上の子が羨ましい。
人との関わりに(たぶん生涯の)課題を持つ私は、上の子を通して勉強させてもらえているんだろうな、と思うとありがたい存在だと思う。
いいなと思ったら応援しよう!
