子どもがはじめて自発的に努力した話
ちょっと前の話なんですが、下の子が中学校の進路希望調査票を持って帰ってきました。
うちの地域は一応校区があるものの、市内のどの中学校にも進学希望を出せるシステムです。
下の子は校区内の中学校に行くつもりだと言っていたけれど一応
「どうするの?」
と軽く聞いてみると、
「校区内の中学にするつもりだけど、明日友達にも聞いてみる」
との返事。
うんうん、そうだね、と言いながら、冷蔵庫にプリントをペタリ。
そして、ふと聞こえてきた言葉。
「中学受験は絶対しないから安心して!」
冗談っぽく言ってくる下の子に「確かにその通りだな」と納得しつつ、2年前のことを思い出しました。
2年前。
同じ進路希望調査を出してしばらくした頃、上の子が突然「やっぱり中学受験をしたい」と言い出したんです。
それまで受験はしないって言ってたのに、いきなりでびっくり!
家族で何度も話し合いましたが、上の子は全く諦める様子を見せず。
半分「これで諦めるだろう」と受けさせたプレテストも57点(200点満点)と散々な結果だったのに、それで逆に火がついたようで。
「こんなに熱血だったっけ?」と思いつつ、最終的に私たち親も一緒に頑張ると腹を括りました。
受験を決めたのは子ども自身とはいえ、最初は少しサボりがちでした。
でも、徐々に誘惑に負けることが減って、勉強に本気で向かう姿が見られるようになりました。
学校でも休み時間に職員室で質問するという積極性を見せるように。
一緒に過ごす時間も勉強中心になっていきましたが愚痴も言わず。
親から見てもよく頑張ってるなあってちょっと見直しました。
結果はめでたく合格。
合格ボーダーが135点くらいなので、少なくとも80点はアップしたことになります。
ただ私としては、点数が上がった事実よりも、受験当日の帰り道に上の子が「結果はどうあれ、後悔はない」と笑顔で言ってくれたことが本当に嬉しかったです。
その成長に感動しました。
腹を括ってよかったな~、と心から思った出来事です。
++++
この経験を通して、親が子どものことで腹を括ることで、いいことが2つあると感じたんです。
1つは、子どもの成長がスピードアップしたこと。
経験上、成長スピードって自分を信じてたら上がるんです。
『自分はできる』『自分はやれる』って思ってやるのと、『できない』と思いながらやるのとではうまくなるまでにかかる時間は全然違います。
そして、『自分はできる』『自分はやれる』という気持ちを持つ後押しになるのは、周りからの応援です。
声援が自分の力になりました、っていうアレです。
『腹を括る』って、その対象を信じていないと絶対にできないことだなあと思うんです。
腹を括ることって、未来が不確定で何が起こるかわからない時にこそ必要になるもので、結構大変なことですよね。
エイヤー!って気合を入れないとできないし、人生で何度もやりたいことには絶対入らないハズ。
だから、信じていない対象に対しては腹なんか括れない。
逆を言えば、腹を括るってことは、対象を信じているってことになります。
親が子どものために腹を括ることは、子どもの可能性を、ひいては子ども自身を信じてるってメッセージになるんです。
つまり「あなたを信じてるよ」っていう応援。
信じてるって、結構強力な応援だと思いませんか?
うちは、この応援効果を如実に感じました。
子どもが「欲望」と「義務」のバランスを自分で取りながら行動できるようになったことも一つですが。
最終的に結果はどうであれ「チャレンジしたことに後悔はない」と言えるほど、自信を持って頑張ることができたことで、『ボクはやれる』という気持ちでいろんなことに前向きに取り組めるようになりました。
こういうの、自己効力感というそうですが。
自己効力感が高いと前向きな行動につながるそうです。
もう1つは、子どもの幸せ度をアップさせること。
親が腹を括ることは、子ども自身の選択を尊重した結果です。
私は『自分で選択できることが自分の幸せになる』と思ってます。
だから、子どもにも、子どもの価値観で選択してほしいと思います。
だけど、子どもは能力的にも法律的にも全部ひとりでやることができなかったり(許されてなかったり)します…。
子どもが子ども自身の選択をするためには、保護者である親の力がどうしても必要な場面が出てきます。
だから、保護者である親が子どもの選択を尊重することが大事だと思うんです。
子ども自身に選択したことをやり通すという経験をしてもらえたことは、子どもが自分の選択をもっと大事にしてもいいと思ってくれるきっかけにもなったはずです。
私の価値観『自分で選択できることが自分の幸せになる』からすると、それは子どもの幸せにつながることです。
親が腹を括ることは、子どもの幸せにつながると信じています。
ただ、全ての状況で腹を括るのが良いわけではないし、親=保護者だからこそ腹を括れないこともあります。
金銭的な問題など、子どもが選択した道で親自身が十分にフォローできない場合がその例。
親が現実的にサポートできないと分かっていることを、ただ子どもが選んだからといって無条件に承諾してしまうのは、保護者としての責任を果たしているとは言えませんよね。
また、現実的なサポートをするために親自身が過剰な無理をするというのも、親自身の幸せには繋がりません。
子どもも親も幸せに!が一番良いに決まってるんですから。
そういう意味では『どこまで責任を取るか』を考えることは大事かもしれません。
この道が安全だ!と親がレールを引いて子どもを列車に乗せる。
レールにいる間はすべてにおいて責任を取るというのも責任の取り方です。
でも、子どもの過失とわず、列車が故障したりレールが破損してレールを外れることも考えられるわけです。
それを、『レールにいないから』といって親が何もしないのは無責任です。(考えておかないこと自体が無責任だと思う)
目的地を何もない荒野のままほおっておくのも無責任だと思います。
『自由』の少ない世界で育てて、『自由』に何があるかも触れられず、教えられることもなく進んできたのに、いきなり『自由』の権利を突き付けられたところで子どもが困ってしまうだけです。
だから、レール引くならイレギュラーを考慮したり、ゼロイチで考えないことは大事だと思います。
逆に子どもの選択を尊重するからと言って、全部親が責任を負う必要もないです。
子どもの生活について社会通念上必要とされる監督や保護を行うことは義務ですが、それ以上は法律にも求められてないですし。
子どものできうる範囲でとれる責任を負ってもらいながら、自分も責任を負う。
それがWin-WinであればみんなHappyってことになりません?
私は、上の子の選択を尊重することに決めました。
腹を括ったことは、上の子自身のため、上の子との関係のためにはよかった!と手放しで言えます。
信頼関係も今まで以上に良くなりました。
だから私は、これからも腹を括って子どもたちの背中を押してあげられる存在でいたい。
そのためにはいろいろと頑張らなきゃなーと、改めて思わされました一日でした。