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違和感についての考察

 (約800字)


 人は「ギブ&テイク」をコミュニケーションと考える

 読みたいモノだけ読んで、スキを付けるも付けないも自由な世界

 ‥‥がnoteの過ごし方です

 建前は 



 でも、多くのクリエイターは、

スキをつけてほしい、コメントがほしい

リターンを求めると思います


 読まなければ、読んでもらえないことが多く。


 反応が欲しくてnoteに記事をアップし、
スキをもらえば承認欲求は満たされます


 私が読んで欲しい記事をマガジンに登録して、
読んだ人が他のクリエイターを認知できて、好きな作品を創作する人を見つけてくれたら嬉しい

 それがマガジンを登録する理由です


 でも
記事にしろ、コメントにしろ、
誤字脱字を読むことがあります

 投稿した後に、あまり読み返したりしないのでしょう


 私は過去にコメントを切り取られて、記事にされて非常に嫌な目に遭っているので、現在は読んでもコメントを書き込むことは滅多にありません


 コメントを読むと、分かることがあり、
それを書いてみようと この記事にしました


 コメントのやり取りで、作品に対しての褒め言葉ならいいのですが、感情を記事に盛り込んだ場合、それに対する反応が色々な角度でコメントに集まります


 自分の気持ちの軸がしっかりしていると、賛否両論は受け止められます


 でも他人の意見に一喜一憂する人は、毎回、似たような問題に悩みます
 他人に左右されがちだと、同じ壁に対し以前の課題と被っていても、気付かないのでしょう


 だから、はっきりとした意見を述べる人を好む傾向にあります


 それがどんな思考であれ、キッパリと「自分を必要にする人」の気持ちに流されます


 だから、自分の軸がブレます


 私は記事を読んで「そのクリエイターの真意」を探りますが、コメント欄で記事とは離れた意見に納得している場面を読むと気の毒に感じます


 本人がそれを気づかない限り、悩み続けるんだろうな


 記事とコメントの違和感は、『感情の有り様の揺れ』と判明しました



庭のつくばい






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