今までの常識が通じない人もいるんだ
(約900字)
何十年も日本人をやってきて、言語が通じれば、分かり合える人間関係を作れるものと思ってきた
誰かが困っていたら声をかけて、手を貸した
人の助けになったり助けられたりするのが、私には当たり前のことで、恩を受けたら、それを返すのが当然だと信じてきた
noteで、有り難く思うことは沢山あった
でも、恩を仇で返されることもあった
SNSの世界は、それこそ地球のインターネットを使う全ての人と繋がっている
リアルな世界だって、手に負えない人はいるのに、素性の分からない人間だらけのSNSの世界で、常識を求めたって仕方がないのだ
リアルより、よっぽどSNSは魑魅魍魎の輩がいて当然
苦手な人に遭遇したら、色んな知恵を絞って避けてきた
昨日の殆どの時間、デジタルをシャットアウトして、SNSについて考える時間を作ってみた
SNSは、アカウントを作って、「SNSのわたし」が誕生する
デジタルなわたし
アカウントを消して居なくなった時点で、SNSの「わたし」は死ぬのだ
またアカウントを得たら、また「わたし」は生まれてくる
なんて簡単な「死」だろう
どんなにnoteの世界で
誰かにお世話になったって、関わったって、
アカウントを消して、
デジタルの私が居なくなれば、
「デジタルのわたし」は人の記憶から時間とともに、ゆっくり消えてゆく
なんだか とても 都合のいい世界だ
noteで有料記事を書いて、有料記事を買った人は、それを大事に読むでしょう
アカウントを消した人の有料記事は、綺麗さっぱり消えるのでしょう
まぁ、スクリーンショットを撮って写真のフォルダに保存したら、また読むことが出来る
それに関しては ご心配なく
私はnoteから離れても、記事はすべて残します
簡単な生死を繰り返しても、「魂」はリアルで情けない自分と手を繋いだまま生きてる
私が noteで書く言葉は、デジタルの世界ではnoteの中でだけ、生きている
「あきらめが肝心」
多くの人から言われた
まじ合わない人との交流は、縁の近い人とだって疎遠になるもので、SNSではなおのこと、不可能な距離感が生まれることを肝に念じておく
新しい価値観を得て、背中に羽根が生えたみたいに気持ちを軽くできた
書かない選択肢で、ひとは変われる
あの人だって、きっとそうだったんだろう