「なりたい自分」より大切なものに気づいたとき
小学生の頃、卒業文集で「将来の夢」を「保育士」と書いた。
特に憧れがあったわけではなく、仲良くしていた友だちが書いていたから「私もそうしよう」と思ったのだった。その友だちは、かわいくてクラスでも人気があって、「あの子が言うんだから間違いない」と感じたのを覚えている。
それでも、心の奥ではそれが本当に自分の願いではないとは感じていた。文集に書けるのは名前のある職業だけ、とどこかもやもやした気持ちも抱いていた。大人が求めているのは、キラキラした夢や希望。でも、それが何なのかもよくわからず、何を書けば正解なのか悩んだ末に、友達のを真似した。もしかしたら、ここで何か書けなければ、自分には価値がないとすら思っていたのかもしれない。
「〇〇になりたい」という言葉には不思議な魅力があり、それがあれば自分の居場所ができ、誰かに認めてもらえるのではないかと思っていた。
私の世代なら知っている人も多いであろう「13歳のハローワーク」という本がある。自分がなりたい「名前がある仕事」を必死で探していたことを思い出す。
中学生から高校生にかけて、私の中で「何者かになりたい」という思いはさらに強くなっていった。成績や順位が良くなければ自分には価値がないように感じ、全力で勉強や部活に打ち込む毎日だった。
成績が悪いと、親から「早く部活をやめなさい」と言われるのがつらく、「こんなに頑張っているのに」と悔しい気持ちでいっぱいだった。だから、授業を聞きながら予習や復習を同時に済ませたり、昼休みは早弁してまで図書館で勉強に取り組んだ。
部活では副部長を務め、全国大会常連校として、代々の先輩が築き上げてきた伝統を崩せないといつも気を張ってピリピリしていたが、自分の実力はそのレベルに達していないことにずっとコンプレックスを抱いていた。
そんな日々が積み重なる中で、プレッシャーに耐えられず学校に行くのが苦しくなり、校舎の前まで行きながらも中に入れずに帰った日もあった。でも、勉強だけは頑張らなければと思っていた。家族が私を認めてくれる唯一の手段が勉強であるように感じていたからだ。
今振り返れば、それが本当に正しかったのかは分からないけれど、当時は必死で結果を求めていたのだと思う。
家族や周囲の期待に応えるために努力を重ねる中で、自分自身も「何かにならなければ愛されない」と感じるようになっていた。少しずつ自分の気持ちに蓋をして、人の意見に合わせることが当たり前になっていったのかもしれない。
大学生になり実家を出てからも、漠然と周りに流されるような日々を送っていた。そんなとき、たまたま目にした学生交流イベントの運営メンバー募集に興味を引かれ、参加してみることにした。メンバーの多くは、私と学部も専攻も異なる人たちで、これまでの「知識を詰め込むだけの勉強」とは違い、自分たちでテーマを見つけ、課題解決のためのプロジェクトを進める実践的な学びに取り組んでいた。数学や物理が得意だった私にとっては、新鮮で刺激的な環境だった。
「成績とか関係なくない?やりたいことやろうよ!」と言ってくれた先輩がいて、その一言が、私にとっては心が動いた瞬間だった。初めて、自分が本当にやりたいことを、自分のためにできると感じた。そのときのワクワクした気持ちは今でも忘れられない。
それからは、サークルのイベント企画に加え、ボランティア活動や地元企業でのインターン、アメリカ短期留学、さらに内閣府の事業で日本代表青年として参加する機会まで得ることができた。誰かに評価されるためでなく、純粋に「やりたい」と思えることに全力で取り組む日々が、どんどん充実していった。
社会人になってからは、まず住宅の営業に携わった。ただ、建築やインテリアの専門的な知識があるわけではなく、そうした分野に詳しい同僚と比べて自信を持てない自分がいた。しかし、お客様に喜んでもらいたい、その期待に応えたいという気持ちで勉強し、わからない部分は先輩や職人の方々に教わりながら、少しずつ経験を重ねていった。
もちろん、苦しい場面もたくさんあったが、自分が提案したプランが形となり、お客様から「ありがとう」と言ってもらえた瞬間は、今でも忘れられない。自分が誰かの役に立てた、その実感が、心に広がった。
「〜しなきゃいけない」という義務感ではなく、「この人のために頑張りたい」と思えたのは、それまでの自分にはなかった前向きな感覚だった。
こうした経験を通じて気付いたのは、必ずしも「何者か」になることが幸せにつながるわけではない、ということだった。むしろ「何者でもない自分」でいられることに価値を感じられる瞬間が増えていった。
やりたいと思うことに挑戦し、誰かのために何かを頑張れる自分がいる。そのままの自分を受け入れてくれる仲間がいる。そうした日々の積み重ねこそが、自分にとっての「生きててよかった」という実感につながっていることに気付いたのだ。
今では、自分と同じように「自分らしくいられる」居場所を、他の誰かにとってもつくりたいと思っている。大きなことや特別な成果でなくても、「好きなものに出会えた」「誰かのために頑張れた」という小さな感動の積み重ねが、誰かにとっての喜びや安心感になれば、そこに自分が関わる意味があるのではないか。名前や肩書きではなく、誰かに寄り添うことで生まれる自分らしさ。それが、かつての自分が憧れていた「〇〇になりたい」とは異なるかもしれないが、根底にある「誰かのために」という想いは変わっていないと思う。
現在は、障害のある方が「自分らしい生き方」を見つけていく過程、いわゆる「リカバリー」を応援する仕事をしている。この仕事を通して、ただ役割を持つこと以上に、自分の経験や思いが誰かの力になれるという実感が増えている。
私も、20代の頃に精神疾患を経験し、「もう自分はどこでも働けないのかもしれない」と思っていた時期があった。そんな時、自分にできることを少しずつ積み重ね、自分のやりたいことを選んでいったことで、自分らしい生き方ができていると感じられるようになった。そして、過去の自分と同じように「この先どう生きればいいのか」と悩む人々に、自分の経験が届き、誰かの力になれていることを実感することもある。
リカバリーを支援する中で、強みを活かせる場さえあれば、誰でも輝けることを知った。働くことがただの生計手段ではなく、「自分が誰かの役に立っている」と思える大切な理由になる。そうした思いが、リカバリーにつながっていくのではないかと思っている。
以前の私は「何者か」になることに価値を感じていた。しかし、今は役職や役割ではなく、日々の中で「誰かのために何かをする」という積み重ねが、自分にとっての未来へとつながっていると感じている。
もし、当時の自分に「未来のあなたは何者かにはなっていないよ」と伝えたら、がっかりするかもしれない。けれど今の私には、「名前以上の価値」があると思える。
今の自分は思い描いていたものとは違うのかもしれないけれど、いま感じている充実感や幸せは、かつての私が憧れていた「なりたかった自分」を超えていると思う。