青木淳先生の退任記念展@藝大美術館陳列館
「青木淳退任記念展 雲と息つぎ ―テンポラリーなリノベーションとしての展覧会 番外編―」
東京藝術大学大学美術館・陳列館1、2階
会期:2023年11月18日(土) - 2023年12月3日(日)
https://museum.geidai.ac.jp/exhibit/2023/11/clouds-and-breaths.html
白っぽい室内に、現場の廃材を借り集めたような半透明のテープや足場が張りめぐらされています。
控えめだけど、微細な空気の質まで緻密に計算された空間は、はりつめた緊張感ととともに、きめ細やかで柔らかな質感がありました。
パンテオンっぽいなあ、と感動しながらふらふら歩き回りました。
アート系のインスタ展示を含めて、ここまで、空間の質を実現した「作品」は、滅多に経験することがないです。この場所は、いったいなんなんだろう、と、思わせられました。
「はじめに言葉ありき」、なのでしょうか。
ロゴス(言葉)のもつ理性や論理が環境を制御するとすれば、そこから抜け出た先に広がる「環境の外」とは、非理性の領域なのかもしれない。そうすると、環境の外に出ようとする瞬間、つまり境界近傍、として想像されるのは、言葉よりもっと以前にある、原初的な、声、みたいな領域なのかもしれない、と勝手に想像します。
言葉になる以前の、始まり以前の、原初の声に耳を澄まして、その声を響かせることこそ、「テンポラリーなリノベーション」の出発点にあるとしたら、どうなのだろう、と、さらに勝手な想像をはためかせました。
言葉が、人間が成長につれて習得する理性値であるとします。
すると、声は、もっと、生まれたばかりの赤ちゃんの産声のように、世界が意味を獲得する以前の、状況につながるのではないか。言葉によって支えられる象徴と意味の間にある記号的な関係の外側には、もっと、触感や質感、予感のような、理性を獲得すると同時に失われてい明晰ではない、暗く未分化の世界が広がっている。
ある環境や場所に身を置き、言葉にならない言葉にじっと耳を澄ませる。叫び声であれ歓声であれ、押しつぶすことなく、反響させる。そんな繊細な建築的手法が、リノベーションの理想形を表現していたのではないかと思いました。
それを支えていたのが、建築家の強靭な思考であり、建築のイデアみたいなものだったとすれば、まだ建築を信じられるのではないか、という気もしてきました。joy to the worldでしょうかね.