いつも音楽がそばにいてくれた(1)
去年から、「音楽を奏でることでお金をいただく」という経験をしている。一昨日は、その4回目だった。
長年シンガーとして音楽活動をしている友人が、誘ってくれたのがきっかけで、「離岸」という音楽デュオを組んだのが去年の4月頃。
それ以降、4回、何かしらのきっかけがあって、ライブの依頼をいただき、さまざまな場所で奏でさせていただいた。
音楽を奏でて、それで初めてお金をいただいたとき、とても不思議な気持ちになった。「もらっていいのかな」と、思った。
だけど、今は、素直に納得することにしている。
素直にありがたく受けとり、いただいたお金を特別視せず、真っ直ぐに、自分の財布に入れることにしている。
音楽が好きだ。
無条件に好きなんだと思う。
誰に頼まれなくても、これまでずっと、一人きりでも、奏でてきたから。
喫茶店を開くとき、その日の開店に合いそうな音楽をかける。
無音の空間に、スピーカーから放たれた音が響き始めた瞬間。
それはもう、毎瞬間。
「あ、開いた」
そう思う。
音楽が始まると、喫茶店が始まる。
眠っていた空間が動き出す。
音楽は、空気を支配する。
音楽の力に、畏敬の念のようなものを感じている。
* * *
音楽との付き合いは、長いといえば長い。
小学校4年生の時、近所に住むとても気の強い友達から、「千秋ちゃん、吹奏楽部に入って!」と強く言われたことがきっかけで、「あ、はーい」みたいな感じで、吹奏楽部に入部した。
楽器に触れた経験は、音楽の授業で習うリコーダーやカスタネットくらいだった。
その友達は、私より1学年歳上で、吹奏楽部でフルートを担当していた。
入部して、部員と楽器でひしめく放課後の音楽室を初めて見回した時、「トロンボーン、かっこいいな」と思った。
なので、トロンボーン担当に志願しようとしたら、「フルートにして!」っと、また強い友人から強く言われて、「あ、はーい」みたいな感じで、フルートを志願した。
しかし、フルートは人気のある楽器だった。
多くの新入部員が、自分の担当するパートとして、フルートを希望した。
吹奏楽部は、音楽経験や技術の豊かな新入部員から順に、希望のパートにつけるというシステムを採用していた。
当時の私は楽譜すら読むことができず、二名分しかないフルートの枠を獲得するための試験で、ピアノが弾けたりフルートをすでに持っているような他の立候補者たちを上回る余地がなかった。
そんな中、私はどういうきっかけだったか、「ピッコロ」という楽器の存在を知ることになる。
フルートを、半分以下にまで小さくした、オーケストラで最も小さくて、最も高音の出る楽器、「ピッコロ」
これには、なぜか立候補者がいなかった。
「あ、これなら、やらせてもらえるかも。」
そう思って、立候補した。
立候補者は私だけだったので、すんなりと、ピッコロ担当となった。
友達は、「まあいっか、ピッコロならフルートの並びに座るし」といった具合で、納得してくれた。
義務教育の範囲外で楽器を手にしたのは、この時が生まれて初めてだった。
***
続く。
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