デミアン 第一章「二つの世界」
まあ、素直に読めば(キリスト教的世界観からは神と悪魔の)善と悪の二項対立に見えてしまう。それは、そうなんだが、ここで、ユングの「個性化の過程」を当てはめてみたくなる。
一つの世界(父の家)は、自我意識中心の世界。人は、誕生し、成長し、社会に伍していくため、ひとつの態度を選択して行く。そして、それに反対するものを切り捨てていく。
ところが、切り捨てた筈の自己の残りの部分が、誰かの言動に不合理な苛立ちや嫌悪感を感じる時などがそうだが、それが、影(シャドー)となって、襲い掛かってくる。
クローマーが、私(シンクレール)の影として、現れたのだと思う。
気付かれたかどうか、分からないが、私(主人公)の名前が、「エーミール・シンクレール」ということは、ここまで(第一章まで)、一度も語られない。私小説形式であることも勿論その一因ではあるが、通常、冒頭で名乗ったり、会話の中で、呼びかけられたりするものだが、巧妙に避けられているような気がする。自我の中に没入している状態を顕しているという仕掛けなのだというのは、深読みし過ぎだろうか?
クローマーが、影だとしたら、デミアンは?、シンクレールの自己からの視点なのかと・・・