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やっぱりまだよくわからないアーユルヴェーダ

10月に入って、ヨガの解剖生理学の講座が始まり
単に人体の話をするだけではなく、哲学やプラーナの話にもなるので
頭の中が一層、ヨガヨガしくなっている。
Maki先生のワークショップには以前から何度か参加していて、
どうしても、どーーしても!今回受けたかった連続講座なので
毎週楽しかった。来週で終わってしまうのが悲しいが過ぎる。
Maki先生めっちゃ好き(告白)

先週はアーユルヴェーダのドーシャ(タイプ)の話にもなって、
乾燥が強くなる時期や年代はそのためのケアが必要になってくるということを聞いて
膝を痛めたりなどの関節痛もヴァータ(風)の乱れの可能性があるので
オイルなどでのケアが良い、というのを教えてもらったんだけど
ドーシャっていまいちわからんなあ、と思っていた。
私の場合は思考癖があるので、ヴァータ気質なのかなとは思ったけど
厳密な診断は自己診断では難しいというのも聞いていたので
なんかよくわからんし、アーユルヴェーダについて深入りはあまりしなさそうだなと思っていた。

ただ、数か月前にあった出来事について思い出したとき
「あれはドーシャの乱れが顕著だったんじゃないか」と思うことがあった。

ある人と2人で話をしているのだけれど、
ボールがこちらにぶん投げられるだけで全然会話になっておらず
おそらく相手はボールを投げているうちに、どんどん自分だけテンションが上がっていき
同じボールを更に投げてきて、こちらが打ち返す隙間を与えられなかった。
思い返してみると、これって相手のヴァータが乱れていたということなのかな。
私もボールを投げられ続けるのに耐えていただけなので色々と観察をしていたけれど
相手の顔はいつもよりもかなり浮腫んでる状態だった。
浮腫み→水=ピッタの乱れだったんだろうか。
ヴァータもピッタも過剰になるなんてことあるの??
そして、私は即逃げることもできなかったわけだけど
よく考えたら、私は怖かったのでは…と、我慢強いのか鈍感なのか微妙な自分を
ちょっと労りたい気持ちに今更なった。

感覚・感情に対して正しくラベリングすることについても講座の中で話に挙がっていた。
私は冷静に状況を観察しようとするあまり、ラベリングミスをすることが多々あるっぽい。
本当は怖かったり、気持ち悪かったりしていたのに
今回も「私は弱くない、今の状況も流されないで制御できる」と言い聞かせて
「この感情は怒りだな」と、割と分解処理しやすいように分類していたのかもしれない。
「怒り」って割と消化しやすいというか、理由付けをしやすいのかも。
これももしかしてヴァータが過剰になっているのかな。

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