幼少期の刷り込みの怖さ
こんにちは!
Anna Roseです。
先に言っときます。長いです(笑)
でも、赤裸々に書いてます。よろしければお付き合いください♡
私がnoteを書き出した理由。
それは自己紹介でも書いたように、過去の自分と同じように「自分らしく」生きることに困難さを感じ、生きにくさを持っておられる方の苦しみをほんのちょっとずつでも開放するお手伝いができたらという思い。
それと、あと一つ。
単純に「文章を書くのが好きだから」。
今振り返れば、お友達に馴染めず、家でも疎外感を感じていた私は、小学生の頃から、よく図書館に行って本をたくさん借りてきて読む、活字が大好きな子供でした。
本を買ってもらえる経済状態ではなかったけど、このおかげで居場所をみつけたのかもですね。
そして、毎年のように「作文コンクール」で入賞していました。担任の先生に「女流作家になったら?」と言われたことは今も鮮明に覚えています。
ただ、そう言われたことも端から「無理に決まってるじゃん」と自分の個性を認められませんでした。
で、40歳過ぎた時に母から「そういや、近所のお母さんが、『◯◯ちゃんの書く文章大好きだから、いつも楽しみにしているの。』って言ってくれてたわー」って聞かされるの。
はよ、言ってや(←心の声(笑))
まあ、母もその時必死に生きてましたから。
そういや、私が書いた絵もコンクールで選ばれたりしてたな・・・
昔からクリエイティブだったようですが、「自分は不器用」と思い込んでいました。
それにはやはり「親からの刷り込み」が大きく影響していたと思います。
占い師として日々お悩みをお伺いしている今、同じように幼少期の親からの刷り込みで、大人になっても「思い込み」が外れず、自分のやりたいことが出来ない、そもそも自分のやりたいことがわからない方がたくさんいらっしゃるんだなあと実感しています。
ここからは私の幼少期のお話です。
いかに親の行動や発言がその後の人生に影響していたか。
私はいわゆる機能不全家庭に育ちました。父は働いてはいるけど、気に食わないことがあるとすぐに職場を辞め、また次を探して働くも辞めるかクビになるを繰り返していました(40年も前のことなのでこの表現をさせていただきます。)
今考えると外面は良いというか、ファーストインプレッションは悪くなく、働き出すことは出来ていたのだなあと。
ただ、父が働く事を辞めなかったのは、ギャンブルのため。稼いだお金を全額ギャンブルに注ぎ込み、給料日になると家にお金を入れられなくて、母に怒られるから帰ってこない(笑)
それどころか、父は借金も作っており、時代が時代なので、借金取りが玄関のドアをドンドン叩き、お母さんと弟と布団にくるまってたことも(ほんと映画かよと今なら笑える)
この時も父は逃げてました(笑)
で、母によると、父を問い詰めると暴力をふるわれていたとか。
私は、弟と2人姉弟なのですが、子供は暴力を振るわれなかったという記憶。
というのは、看護師になって自立して実家を出るまで(今は実家も存在しない)、萎縮して生きてきたので、記憶が飛んでるんです(笑)
今は笑い話。
でも、記憶を飛ばしても、潜在意識にはがっつり畳み込まれているんですね。20代、30代は、まあ、この潜在意識に苦しみました。
ただ、なんか元々根性だけはあったみたい(笑)どんなにどん底になっても諦めない。違う方法を探してやってみる。
そして、それは看護師時代に、まあ更に鍛えられました。高校の先生が竹刀を持ち歩いていたような時代の人間ですから、社会人になってからの指導も厳しかったですよね。
看護師1年目は毎日泣いてました(笑)それがいいか悪いかは置いといても、色んな経験をさせてもらったので、私にとっては良かったですね。
「頭ごなしに怒っても人は成長しない」「他人は変えることができない」ということを、きちんと体感で教わりましたから。
「私はこの先輩みたいな指導をしない」と思えたおかげで、看護師時代は新人指導、学生指導を任せられることが多く、そのためにコーチングも自然と勉強しましたから、今の自分のどんな場面にも活かせてます。
本好きな事が高じて、情報収集、勉強は苦じゃなかったですから。
でも、この勉強好きは、実は、幼少期からの「自己肯定感」の低さからです。
私は、3月末ぎりぎり生まれの早生まれ。予定日に生まれていたら、一つ下の学年だったのだけど、一週間ほど早く生まれて、幼少期から、常に周りの子より小さくて、行動が遅かったです。
それに増して、高校入る間近まで初経も来ず、早生まれにしても成長が遅いことを、ずっと両親は心配していました。
不思議なことにギャンブラーで家を顧みない父も、私のことは気にかけていたみたい。守ってくれたかは置いといても(笑)
そんな時、母親も幼少期に親に捨てられる、在日であったことでその時代は差別を受けたり、思うように就職できなかったりで、「私は境遇のせいで自立できない。だから、お父さんと一緒になったのに更に苦労をさせられた。自分はなんて不幸なんだ。」という思い込みが強く、常にイライラしておりとても厳しかったのを覚えています。
弟は4月生まれな上に、体も大きく、要領も良く、何をしても学年でトップみたいな子で、3学年離れているのにいつも大人に「お兄ちゃんと妹みたいね」と言われていました。
「不幸」が染み付いていた母は、同性ということもあったのか、私を見ていてもどかしかったのでしょう。小さい頃から、常に「あなたは女の子だし、何もできないから、普通に学校出て早くお嫁にいかないとね。幸せな結婚してね。」と言われていました。
今は母と仲がいいのでわかりますが、この時の事は、母の記憶からも抹消されています(笑)
ただ、こちらはそこの記憶は鮮明です。ここが、大人になって、母は自分が私に「何も出来ない」と刷り込んできたことを自覚していないことで、更に私の母への「私を分かってくれない」という思いが強くなっていき、その思いで、私は母を見ると心が締め付けられる時期が10年以上続きました。
ただ、「あなたは何も出来ない」と刷り込まれた事で「私は人より何倍も努力してやっと人並なんだ」と私の中で変換され、「私が努力して人並みに出来ることは勉強だけだ」と更に変換されました。
中学入るまで、常に学年一番小さい体で、歩くのも何するのも遅かったので「運動ができない子」も刷り込まれました。
そこから、私は未だにスポーツに苦手意識があります。これに関しては、大人になって、できなくても困る場面がなくなったので、別に克服はしていません(笑)
ただ、笑ってしまうのが、成長が遅かっただけで、中学2年生から一気に背が伸び、高校入るときには背の順がクラスで後ろから数えて3番目になり、高校入学時に初潮を迎えたあとは、体重も増え、それまでは凹凸のなかった体が急に肉付きが良くなり、今では身長167センチ・・・
大人になって、スポーツ整体の先生に「この骨格で運動音痴な訳が無い」とまで言われる始末。
興味がスポーツには向かなかったので、鍛え直しはしてませんが(笑)
常に母親の顔を伺い、ビクビクしていた私は更に母親の刷り込みを助長させてしまいます。
私は元々肌の色は白い方なのですが、小学校の体育で日に焼けていた私を見ていて、母親が「うちはみんな色白やのに◯◯ちゃんだけ黒いね」と言いました。そこからは、私は自分は色黒なんだという認識でした。
肌の色が問題なのではなく、その刷り込みのまま社会に出た私は「◯◯ちゃん色白いねー」と言われても、「いや、私色黒だし」と返答し、毎回場を微妙な感じにしていました。そりゃそうだ(笑)
これに関しては「色白いね」を言われる度に、解除されていきましたが・・・
私のエピソードはまあまあ極端ですが、幼少期の周囲の「刷り込み」って本当に、大人になってからの思考に本当に影響するんだなあと思いますよね。
ちなみに、人より何倍も勉強しないと人並みになれないと思っていた私は、勉強を頑張り、気づいたら周りの大人は誰も期待していなかった進学校に入学。
入学試験の結果も上位10位以内で合格し、周りの推薦で学級副委員長と生徒会風紀副委員長になる始末(笑)
それでも、母親は「◯◯ちゃんに出来るの?」と心配ばかりしていました。
母親の名誉のために言うと、母親も幼少期の刷り込みで、歪になっていた上に、その事で大人になっても苦労をして、当時は教育方法が全くわからなかったのでしょうね。
今これを言っても母は「そんなこと言った覚えない」と否定するので、言いませんが(笑)
今日は、この辺で。
どうやってそこから這い上がっていったのかは、また後日。
エビソードは違えど、幼少期の影響で自分らしく生きられない方も多く見てきたので、ゆくゆくは「インナーチャイルドの癒やし方」をお話しようと思います。
では、ここまで付き合ってくださった方ありがとうございました♡
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ではでは。