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短編「わたしはあしながおじさんなんかいらない」⑥

それからというもの、わたしは暇を見つけては紗英の店へ顔を出すようになった。

紗英の料理は疲れた身体を癒してくれたのみならず、寂しさで震えた心を温めてもくれた。わたしは、暗く閉ざされた人生に光明を求め、さらには、喪われた母親の温もりも求めた。

もっとも、紗英の方も、まったく同じことを考えていたかもしれなかった。彼女は、母を喪った寂しさを、わたしで紛らわせようとしているふしがあった。

母と紗英は殺伐とした都会で互いに励ましあって生きてきた。心が壊れそうに辛い夜にはいつも母が隣にいてくれた。それだけに、母が何も言わずに逝ってしまったのを、紗英は翼をもがれた鳥さながら深刻に受け止めていた。そんな彼女にしてみれば、わたしは、思い出を思い出として繋ぎ止めるための、代替物のような存在だったのである。

けれど、わたしは、母が紗英に与えたのと同じだけのものを、彼女に与えられそうになかった。

わたしは、30年以上も母のことを傍で見てきたにもかかわらず、母がどういう人間で、どういう人生を辿ってきたのかを、全く知らなかったのである。

母は、「優しい母親」という印象のほかには、何もわたしに与えなかった。わたしは母の怒った顔や泣いた顔を見たことがなく、記憶の片隅に垣間見えるのはいつも、口元を綻ばせて微笑んでいる瞬間だけだった。作り笑顔なのか、あるいは、感情そのものがないのか、どちらともつかない不気味さがその微笑みにはあらわれており、母が時折見せる優しさは、作られた母親像としてわたしの目に印象づけられていた。

わたしは、紗英が語ったところの思い出によって、ようやく母という人間の輪郭を掴むことができた。そんな人間が紗英に何かを与えられたはずがない。彼女はいつも何かをわたしに与えてくれ、わたしはいつも与えられるだけだった。それでもいいと、彼女は思っていたようだった。彼女はわたしから母の思い出を感じ取り、わたしは彼女の思い出から母という人間を理解しようとした。そのようにして、わたしたちは、お互いの心にできた空白を少しずつ埋めていった。

いつしか、わたしたちは傍目から見れば親子に見えるほど近しい関係になっていた。30年も親子をやってきた母よりも1年の付き合いしかない紗英の方に愛着を感じ始めたのは、皮肉と言えば皮肉だった。実際、紗英は、生きていた頃の母よりも人間的で優しかった。しかし、だからといって、わたしは母の優しさが仮りそめの優しさだったとは思いたくなかった。

わたしたちの過ごした日々は、心の空白を埋める日々であり、また母を知ろうとする日々であった。そうして、母を知ろうとする日々は、ヒロシちゃんを知ろうとする日々でもあった。

わたしたちは、母のルーツを辿るために、彼女の故郷である長崎へ旅立つことにした。

つづく

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