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パリ左岸の夕陽⑧

カフェ・ド・フロールは、1887年に創業され、戦中から戦後にかけては、実存主義者の溜まり場だった老舗カフェである。

知が花開き、研鑽の行われたその場所で、人々は機知に富んだ会話を交わし、あるいは、愛を囁やき合っていた。そういう雰囲気にあって、私たちは場違いな異邦人であり、明らかな余計者でさえあった。

それでも、私たちは自分たちの物語を完結させなければならなかった。カフェの特権的な雰囲気は、それをやるのに少しも邪魔にはならなかった。

カフェ・ド・フロールは、知と芸術を生み、その研鑽を助けただけでなく、歴史を見つめ、人々を見つめ、彼らによって紡がれた物語をも見つめてきたのである。

それが証拠に店内は物語を抱えた人々で溢れ返っていた。そして、それぞれは、それ自身によって生まれた感傷によって、いやがうえにも精彩を放っていた。私たちはいくつもの物語に囲まれながら、自分たちの物語とも向き合うことになった。

折しも、パリの夕陽は、柔らかな赤い血潮となって左岸を包み、寄る辺ない夕闇の中から夜の足音を響かせつつあった。それは、神の摂理によって滅び、やがて生まれくる命の、永劫の回帰を思わせた。

私たちはテラス席で向かい合い、うつろいゆく風景を眺めた。テーブルの上には納骨袋に包まれたお袋の遺骨があり、周囲の人々から好奇の視線を集めていた。

そこへ頬を朱に染めたギャルソンが注文を取りにやってきた。ギャルソンはテーブルの上の遺骨を一瞥してからわたしたちを見た。その目に一瞬だけ侮蔑の色が宿った。

彼は内心では私たちのことを差別しているにもかかわらず、極めて慇懃な態度で話しかけてきた。

親父はメニューを指で差して示しながら、片言のフランス語で何事かを述べた。その内容はフランスを離れて久しい私にも辛うじて理解できた。親父は「コンフィを豚バラで作ってくれ」とぶっきらぼうに言ったのである。これにはさすがのギャルソンも困った顔を見せた。

ギャルソンは「メニューに書いていないものは作れない」と説明したが、親父はこれを強引に押しのけてしまった。やがて、ギャルソンは親父の気迫に気圧されたように店の中へ戻ってしまった。

周囲がざわつき始めた。私は恥ずかしくなって親父に注意した。

「おい。こんなところでみっともないことはやめてくれよ」

「お前が食いたいと言ったんじゃないか」

「でも、店の人が困ってただろ」

「客が食いたいものを作れないようじゃプロ失格だ」

「めちゃくちゃだな、あんた」

「めちゃくちゃでも何でも構わん。俺が注文したからには絶対に作ってもらわなきゃ困る。あれは俺の原点なんだ。あれをお前に食わせないことには、俺は安心してあの世に行けはしない。絶対に食ってもらうからな」

「分かったよ。食えばいいんだろ、食えば」

それから、料理が運ばれてくるまでの間、親父は、若き日のお袋との物語を、問わず語りに語り始めた。

パリに革命の嵐が吹き荒れていた60年代。

当時、料理修行に明け暮れていた親父は、たまさか訪れたリュクサンブール公園で、女子大生だったお袋を見かけた。パリの三ツ星レストランで言葉の壁に苦しみ、ひどい差別を受けていた親父にとって、久方振りに見た日本人はある種の救いとして映った。むろん、その瞬間に恋の萌芽が生まれてもいた。

その後、親父はお袋の後を追った。そうして、辿り着いたのが、パリ左岸の老舗カフェ、カフェ・ド・フロールだった。お袋はテラス席に座り、親父も偶然を装ったかのように近くの席に座った。お袋はギャルソンを席まで呼んでメニュー表にある料理を注文しようとしたが、ギャルソンは差別感情を剥き出しにして、お袋の拙いフランス語を理解できない振りをした。そこへ助け舟を出したのが親父だった。親父はいささか乱暴な言葉でまくし立て、ギャルソンに料理を持ってくるように言った。その時、店側が提供したのが、豚バラ肉で拵えたコンフィであった。

「なんだよ。それじゃあ、まるで、ストーカーじゃないか」

私は途中まで聞いていて、思わず笑った。今まで何も語らなかった親父が死の間際に接して、急に饒舌になったのが滑稽だった。親父は構わずに後を続けた。

「本来、それは鴨肉で調理しなければならなかったんだが、店側は材料がないとかいい加減なことを抜かして、その辺にあるもので適当な料理を作った。さっきのギャルソンと同じだよ。俺たちをアジアの異邦人だと見下してやがったんだ。だが、あいつらは、アジアの猿に食わせる飯でさえ、作る時は手を抜かなかった。あいつらの出してきたものは」

「あいつらの出してきたものは…一体、何なんだ?」
 
「食ってみれば分かる」

親父がそう言うが早いか、店の中から、さっきのギャルソンが料理を盛った皿を持ってやってきた。彼は私たちを迷惑そうに見ながら料理を配膳し始めた。私たちへの差別意識を隠そうともせず、ギャルソンとしての矜持をも全うしようとするその姿勢には実に頭が下がった。彼は料理を供し終えると、自分の役割はそこまでだと言わんばかりに私たちの席から離れていった。もっとも、その時には、私も親父も彼のことなど眼中になく、目の前に置かれた料理だけに心を奪われていた。

それはまさしく豚バラ肉のコンフィであった。豚バラを低温で煮込んだだけの簡素な料理でありながら、フランス料理の伝統と格式をも備えたその姿は、余人を惹きつけて止まない光輝に満ち溢れていた。私と親父は忽ちのうちに感傷の虜となった。

親父は料理を懐かしそうにしばらく眺めてから、促すように私を見た。私はそれに応えるように料理を口に運んだ。その刹那に中学時代の光景が脳裏に甦った。

かつて、腹を空かせた同級生の沢村を自宅へと招き、何かを食べさせようとした時、たまたま帰ってきた親父と鉢合わせたことがあった。あの時、親父は私と沢村のために有り合わせの材料で豚バラのコンフィを作った。それを口にした瞬間の沢村の表情を、私はまさに思い出したのである。親父の表現を借りるならば、その瞬間の沢村はあらゆる感情を漂白されて幸福を感じていた。そして、当時の私は幸せそうな沢村を見て、心底、羨ましいと思ったのだった。親父はそんな心を見透かしたかのように私にも料理を食べさせた。幸福とはついぞ縁のなかった私に温かい幸福が訪れたのはその時だった。

今にして思えば、私は、そういう感情を万人に分け与えるために料理人を志したのである。そして、その決断は間違っていなかったのだとようやく確信した。

私はパリの夕陽を背景に幸福を噛み締めた表情になった。今度はあの時のように親父から顔を背けたりしなかった。自分が幸福であることを自分自身で認めなくてはならなかったし、何よりもそれを親父に一番分かってほしいと思った。親父には、私が幸福だったことを見届けてから、あの世へと旅立ってほしかった。それは親父自身が望んでいたことでもあった。

「あの時の母さんと同じ顔をしているな」

「どんな顔だよ」

「あの時、母さんはとても満ち足りた顔をしていた」

「たかだか飯を食っただけのことで、随分、文学的なことを言うんだな」

「強ち大袈裟な表現でもないさ。飯を食べてそんな表情になった人間を、俺は初めて見たんだ。どうやったら人間をそんな表情にできるのか知りたくて、俺もこいつを食ってみた。その時に初めて自分が進むべき道が見えたような気がしたんだ」

「料理で万人を幸福にしたいと、そう思ったのか?」

「そのとおりだ」

私は小さく鼻で笑った。親父の眼が少し曇った。

「お前の言いたいことは分かっている。俺は万人を幸福にしたいと思うあまり、一番幸福にしなければならない人間を、幸福にできなかった」

「それは前にも聞いたよ」

「お前は俺のことを憎んでいただろう?」

「憎んではいない。ただ、俺のことを見ていてほしかったと思っている」

「すまなかった」

「そういう言葉をあんたから聞きたくはなかったな」

「…」

「今までのことはもういいんだ。俺たちは決して仲の良い親子じゃなかったが、最後の最後で分かり合うことができた。それで良いじゃないか。ただ、少し時間がかかってしまっただけのことだ」

親父は言われた言葉を信じかねたように私の顔を見た。私は親父を促した。

「どうした? あんたも早く食えよ。折角の料理が冷めちまうぞ」

親父は私に言われるがままにナイフとフォークで切り分けたそれを口に運んだ。親父の顔が見る見るうちに幸福に彩られていくのを、私は自分自身に訪れた幸福を見つめるように、温かく見守った。

「どうだ? 美味いか?」

「ああ、美味い。あの時と全く同じ味だ」

親父の眼には涙が溢れていた。それは意志を持った生き物のように彼の頬を流れ、料理の上にぽろぽろとこぼれた。その傍らには納骨袋に包まれたお袋の遺骨があり、感情に任せて泣く親父に、静かに寄り添っているかに見えた。

夕陽の残照は水平線に沈む瞬間まで街を染め上げたかと思うと、静寂の彼方から冷たい夜をゆっくりと運んできた。舗道に伸びたいくつもの影がはっきりと形が分かるまでに濃くなり、仄暗い夜の底で歪に絡み合った。そうやって街が夜の闇と溶け合ってしまう前に、私たちは自分たちの物語を終わらせることができた。

テラス席に灯った明かりの下で私たちはワイングラスを傾け合った。グラスの底に溜まった液体に親父の顔が映り込んだ。皺をより合わせた頬には涙の痕跡が全く見られなかった。

「お前は今でも死にたいと考えているか?」と親父が訊いてきた。私は首を横に振った。

「いいや、考えていない」

「それじゃあ、私がこの前言った話、そろそろ考えてくれないか?」

「あんたの店を継ぐという話だったな。 まあ、あんたの葬式が終わった後でなら、考えてみてもいい」

「お前、子供の頃は大人しかったのに、随分、言うようになったじゃないか」

「あんたの息子だからな」

私たちは身体を揺らして笑った。周囲の客たちはそんな私たちを微笑ましく眺めていた。私は四方から温かい視線を感じながら思った。

パリが人々を魅了してやまないのは、そこが何度でも帰るべき心の故郷であるからにほかならない。生涯に一度でもそこを訪れたことのある人間は、物語に魅せられ、あるいは、感傷に誘われ、再びそこへ帰っていくのである。

きっと、私もその運命にあるだろう。私が生きている限り、パリで過ごした想い出は私の中で生き続ける。そして、それが感傷を生み続ける限り、私は何度でもパリに帰っていくことになる。

パリの街を深紅に包んだあの美しい夕陽を、私は決して忘れることがないだろう。

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