見出し画像

新しいステージが固まる前に

前回にも書いたように
患者様の移動が完了した時

自分の使命は終わったと感じた

新しい職場にも馴染み、なんとなくを過ごす毎日でだった

日々働いていても、立ち止まってるような気がしてた

一度、友人に誘われてなんとなく占いに出かけてみた

信じたり信じなかったり、けど占いは結構スキ

その時に言われたのは
貴方は水のような人ね、と占い師の方に言われた。
ハァ…、ピンとこない私に占い師の方は丁寧に解説してくれた

例えば、川の水は常に流れ続けているでしょ?
川の水は、どこかに溜まって流れる事ができなくなると、いつか腐ってしまう

貴方もそれと一緒で、身動きの取れない環境や立ち止まってしまうとダメになるわよって

なるほど…私は川の流れのように流れるように生きていかなきゃ腐ってしまうのか…

当時は23歳くらいだったけど、それまでの時点でも比較的フッとワークは軽く、自分のやってみたい事、挑戦してみたい事は手段を選ばなかったと思う

学生の頃に継続し続けた詩吟や陸上競技だけではなく
唐突に学級員長になってみたり
インフルエンザの流行で自分のクラスが学級閉鎖にも関わらず部活の時間に登校して、練習に参加しようとしてめちゃくちゃ怒られた事もある

遠方で交通費が高いから親に行くなと止められた陸上の練習会へは、家族が寝静まってる間に家をこっそり抜けだして、貯めてたお小遣いで参加した
説教なら後で聞いてやる!そんなスタンス
よく言えば、行動力がある
悪く言えば、ワガママだ

私の人生最大のワガママは、専門学校時代のエステティシャンの資格取得の為の試験日
とても大切な試験だった。
なんなら、2年間の学生生活においてその資格取得の為に頑張ってきたようなものだ
それなのに、当時大好きだったアーティストのライブの日程と重なるという悲劇に見舞われた
試験が終わってから行けばいい?イヤイヤ、大阪であるんだよ…

今でこそ大阪に住んでいた経験もあるから、移動もどこに何があるかだいたい分かるからいいけど

多分、その時のライブは自分にとって初めての大阪だったはず…

迷い子になる可能性は非常に高い!
けど、試験もライブも絶対両方諦めたくない!!

一か八か 講師の先生へお願いした
ちなみにこの講師は、以前の記事でも登場している営業譲渡先でバッタリ再開した先生ことたみちゃんだ🤣

日にちを変えて欲しいとは言わない、時間を早めて欲しい!!

完全なる個人のプライベートの都合の何者でもない

もちろん、私だってなんの考えもなかったわけではない

試験の日程や時間はエステティック協会ではなく、主催する学校が決められる

そう聞いていたからだ

先生には少し困った顔をされた
だけど、他の皆んなが早めていいなら早めてもいいよと

そこから私は直ぐにクラスの皆んなにお願いした
自分のクラスの子達は皆んな快くOKしてくれた
ビューティ学科は2クラスあり、クラス同士の交流は実は余りなかったのだが

私は、クラスの枠を隔たりもなく交流する方であったので隣のクラスの子達も

ライブ行けんとかありえんね、ちあきがそこまで言うなら全然大丈夫🙆‍♀️

そんなこんなで、全員からの賛同の元
大切な試験の時間変更は決定した

みんなのお陰で無事大阪へのライブもいけた
あんな大切な試験の日に、試験以外の予定を入れていたのは私しかいなかったと思う…

当時は自分の目的を達成できて、満足していたが
今となってはとんでもない…

確かその試験は全員無事合格したと思う

だけど、もしも一人でも不合格者がいたとして

時間を早めず、少しでも長く勉強する時間さえあれば合格できていた子がいたとしたなら…
資格の有無で信頼度は変わる

自分の都合で資格取得できない子もでてきてしまっていたかもしれない

人の時間を勝手にずらしたり、予定を変えてもらう
本当にしてはいけない事をしてしまった

試験も受かって、大好きなライブにも参加できた

だけど、今でも思い出すと後悔する

自分の煩悩によって引き起こされた苦い経験です

話は少しズレましたが、水のように流れる生き方をしなければ腐っちゃう私は

営業譲渡先での使命がある程度終わり

働いていても立ち止まっていると感じたのは
自分が腐りかけていたからなのかもしれない

そのサロンの事は好きだった、だけどこのままじゃダメな気がする…徐々に退職の意思を固めていっていた

ただ、そこの店長が本当に良い人で
辞めたいなんて言ったら引き止められるのは目に見えていた

言えないまま、ふつふつと過ごしていた

そんなある日…

ついにきました二度目の倒産

終礼で店長が、本当はまだ言えないけど言わなきゃ私の気持ちがもたない…

この会社は倒産します!
そう泣きながら、叫ぶような声で言う店長の姿を

どこか他人事のように冷静にみていた、自分は冷たい人間なのかもしれない

多分私はこの結末を予感していた

元々大手サロンの営業譲渡を引き受けてくれたこのサロンは全国展開しているものの比較的狭い規模の会社であった

大手サロンを受け入れる器も仕組みも構築されていなかったのだろうと思う

その後についてはまた次回!!

スキとフォローを是非お願いします❤️

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?