なぜ、私はスマホから目を離せなくなってしまったのか…。
私は今、唐突に寂しい気持ちに襲われている。
我が息子、2人。
今はまだ幼いがゆえに、おかあちゃん命。
おかあちゃん、LOVE。
おかあちゃんがいないと、マジ無理。
ってな感じで溢れる愛を鬱陶しくも感じてしまう日々なのですが、こんなこといつまでも続くはずがないわけで。
いや、20年後もこんな状態だったら、逆にドン引きなわけで。
でも、やっぱり、少しずつ今の状態が変化していくことを考えるとふと、寂しくなった。
なのに、だ。
なのに、私は、今日もスマホを見ながら子どもと会話をしてしまった。
いや、もはやそれは会話と呼んではいけない。
あぁ、息子はどんな気持ちでスマホを見つめる私を見つめていたんだろうか。
その表情すら、私は見れていない。
なぜ、こんなにも私はスマホから目が離せなくなってしまったのだろうか。
この長方形の画面に映る世界と、今、目の前で繰り広げられている我が子との現実世界、どちらが大事なんだろう。
天秤にかけるまでもないのだけれど、今を生きるために必要な情報も、スマホの中には確かに、ある。
子どもがいる分、自分自身がそこに出向く事ができなくなった世界を見ることができる。
体験できなかったことも、体験したような気持ちになれる。
普通に生きていたら、触れ合うことのないような世界の人の暮らしを覗き見することだってできる。
私一人の身体では、叶えられない事が、叶えられる素晴らしいツールを手に入れてしまったから、もうそこからは離れられなくなってしまった。
でも、結局、どれもこれも擬似体験なわけで。
簡単に、自分ではない、誰かの目線で切り取られたものが目に入るようになったからこそ、自分の目で見て、自分の心で感じることを大切にしたい。
だから、おかあちゃんLOVEな我が息子たちの表情、しぐさ、声、匂い、それに対してお腹いっぱいに感じている私自身の心も全部ひっくるめて、今を見つめてみよう。
ある意味、今を見つめる事がしんどくて、スマホの向こう側の世界に逃げてしまっているところもあると思う。
少し、現実から目を背ければ、気持ちが晴れるような気がするから。
でも、そんなことをしてても、気持ちは晴れないこともわかってきた。
今、目の前にある私の現実は、私が如何様にも変えていけるはずだから。
スマホの向こう側のあの人は、私の現実をガラリと変えてくれる魔法使いではないのだから。
こうして、今、感じていることを、私はまたスマホに向かって吐き出しているのだから、このループはいつまで経っても断ち切れないなぁ。
とはいえ、これが今を生きる私なのだろう。
こうやって今の気持ちを残しておくのは、好き勝手に転がりながら眠る息子たちの寝息を聞きながらね。