自分の意見を言おうとすると泣いてしまいます。情けないですが何かアドバイスをお願いします。
論理性を身につけることをお勧めします。会話の言葉を、一歩引いたところから客観的に眺めるようにするんです。自分の意見を言うことで泣いてしまう人は、言葉を発することと自分の気持ちを区別できていないのでしょうから。
1.言葉と気持ちを一緒にせず区別する
泣いてしまう人は、言葉を発することと自分の気持ちが一緒になっているのだと思います。会話をする際に、会話の中にのめり込んでしまっている。例えば、親から強く「自分の意見は何なんだ。なんとか言えや!」と言われたとしましょう。その時に、必死になって自分の意見を探そうとして、自分の心のうちをさらけ出そうとしているのだと思います。「自分の気持ち…自分の気持ちって何? 私はどう思っているの? ●●かな? それとも■■だろうか」と。
会話を、一歩引いたところから眺めましょう。相手が発した言葉や自分が発しようとしている言葉、それからその会話がなされている状況、それらを客観的に眺めるのです。
「自分の意見は何なんだ。なんとか言えや!」と親が発したのなら、その意味内容にとらわれるのではなく、相手が発した言葉を文章として吟味するのです。例えば
のような感じです。それから、その会話がなされている状況をも吟味します。
などと。
映画でも観るような感じです。登場人物になるのではなく、そんな登場人物たちを客席から眺めるように。
2.自分の本心まで探る必要はない
確かに会話においては、本心を言った方がメリットが多いのでしょう。本心とかけ離れたことを言うと嘘になりますし、嘘をついてばかり言うと周囲の人から信用を失います。けれど、何が本心かは意外と自分でもわからないものです。例えば受験に際して先生から「文系か理系か、どっちにする?」と聞かれたとして、その場で自分の本心を探るのは難しいはず。「国語は好きだし、けど数学を捨てることもしたくない」のような曖昧なものが、自分から見える本心でしょう。本心を探り当てるのは難しいんです。会話にはポンポンとしたテンポが要求されるので、テンポに合わせていると余計に本心を言えずに自分のターンが終わってしまいます。会話が終わってから「ああ、間違ったこと言った」とか「違う言い方があったな」なんてことは日常茶飯事。
そう考えると、あまりにも自分の本心を探ろうとするのは無駄なのではないでしょうか。それよりも、打算的にその場を乗り切ることを心がけましょう。
のように。
会話が終わった後で、本心はゆっくり考えましょう。父親から怒られ終わり、1人になった時間に振り返ります。自分の本心は何なんだろうと。そうして1人の時に考えた思考が積み重なって、いざ会話の時に返答として出てくるのです。その会話の時に出てきた返答さえもファイナルアンサーではありません。随時更新の可能性があります。日々の経験や省察によって自分の本心はうつろうはず。たった最後の答え、究極の本心なんてものは答えられるはずがないのです。
究極の自分の本心を言わねばならない時は、そんなに多くありません。限られています。好きな人に告白する時や、どうしても説得しなければならない相手を口説くとき、周到に準備期間が与えられたとき、などです。感情豊かに言葉を発した方がメリットがある時は、気持ちを乗せて話しましょう。告白する時なんかは、そうした方が相手も共感するでしょう。説得が必要な場面でも本心が伴っていた方がいいはず。「嘘をついている」「裏がある」と思われると、説得を引き出しにくいので。仕事をしていると「二週間後にプレゼンがあるからそれまでに用意してきて」なんて言われることがあるので、そんな時は時間をかけて自分の気持ちもうまく話せるように準備します。
嘘偽りのない自分の本心を伝えねばならない場面は、あるにはあるのですが、そんなに多くはないのです。
一歩引いた感じで話しましょう。例えば、形式的なクラス会のような場面での発言です。「●●委員は誰がいいと思いますか?」という決め事に「〇〇さんがいいと思いまあす」なんて上部だけで言う場面を想像できると思います。本心まで深掘りせず、表面的な返答。自分の意見を言おうとすると涙が出てくると言う人は、その程度に大きく引いて会話を見てみてください。
3.必要なのは論理性
論理性を身につけると、言葉を一歩引いて見られるようになります。例えば私は以前、警察官をしていました。挑発的な言動を発する人をたくさん説得してきました。交通違反の取り締まりをしているとき、切符を切ろうとして違反者から「警察官だって悪いことたくさんしてるじゃないか」と言われるのはお約束。そんな時は「それとこれとは別ですから」などと答えていました。違反者の交通違反と、警察官の不祥事は別問題です。確かに違反者からすれば「警察官だって悪いことをしているのに、そんな警察官から違反を指摘されるなんて我慢ならん」という気持ちなのでしょうが、違反者の交通違反と警察官の不祥事に因果関係はありません。警察官の不祥事がニュースで流れているからといって、交通違反の取り締まりの手を緩める理由にはならない。
もしも私に論理性がなく、会話の内容に目がいっているようなら、「警察官だって悪いことたくさんしてるじゃないか」と言われて気持ちが滅入るのかもしれません。「自分と同じ組織にいる警察官が不祥事を起こし、それに対して申し訳ない」と思い、その気持ちを反映した言葉を発するのでしょう。けれど一歩引いたところから会話を眺めることで「それはそれ、これはこれ」と、殺伐と考えられます。会話は会話、それと気持ちや本心は別です。
4.まとめ
というわけで、自分の意見を言うと泣いてしまう人は論理性を身につけよう、という話しでした。泣いてしまう人は、言葉を発することに自分の気持ちを乗せてしまい、言葉と感情を区別できていないのだと思います。気持ちを乗せるまで本心に忠実である必要はありません。本心なんて自分でも分かりませんから。会話を一歩引いて眺め、その場の状況や相手の発した言葉の文章構造に注目して意見を言いましょう。気持ちを乗せずに会話ができます。本心を話さねばならない時は他にあるので。自分の意見を言おうとして泣いてしまうのは、論理性を身につけることで克服できるのです。
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