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警察の思い出から、「アナロジーの誤謬」と「不当な類推」の違い

 「アナロジーの誤謬」と「不当な類推」の違いについて。この違い、わかってしまえば何でもないのですが、区別できないまま「解せぬ」という人もいると思うので、説明します。

1.アナロジーの誤謬とは

 アナロジーの誤謬(類比の誤謬)は、共通性を持つが故に二つのものを混同してしまう誤り。……と言うと難解に聞こえますが、特に難しい概念でもありません。例えば、柔道とブラジリアン柔術の違いがわからなかったり。白バイと交番バイクの見分けがつかなかったり。

(1)自由か束縛か。ブラジリアン柔術と柔道の違い

 ブラジリアン柔術と柔道の違いがわからない人、多いと思います。特に格闘技に興味がないと見分けがつかないですよね。たとえ違いがわかったところで「それが何になるの?」というのが、関心がない人の感覚でしょう。おそらく、洋の東西でも認識に差があるはず。画像素材を探す際に「judo」と打つと、ブラジリアン柔術の画像が出てきたり空手の画像が出てきたり、さらには剣道や中国拳法の画像も出てきますから。

judoで検索して出てきたブラジリアン柔術の風景

 ブラジリアン柔術は、日本の柔術家が20世紀前半にブラジルで広めた柔術が、寝技として発展したもの。それに対して柔道は、明治期に嘉納治五郎が柔術を元に興した武道。ブラジリアン柔術は寝技を中心に競い合うのに対して、柔道は立技での投げを中心に競い合います。
 私は両方とも経験しましたが、ブラジリアン柔術と柔道には圧倒的違いがあり、それは場の雰囲気です。ブラジリアン柔術は自由のスポーツであるのに対し、柔道は束縛の武道なんです。
 ブラジリアン柔術は自由です。まず、技が自由。何をしてもいい。動いて間違いというものが無い。全ての関節、あらゆる姿勢、考えられる動き、可能性がそのまま選択肢へと繋がる。技の制限が少ないので、新しい技が次々と発明される。私が20代の時は「ツイスター」というのが流行り、「そんな動きがあるんだ」「そんな技が可能なんだ」と、寝技の奥深さに魅了されました。

ヤラセっぽいけど、これは柔道

 それに対して、柔道は束縛です。束縛というとマイナスなイメージですが、反復練習によって技に磨きを掛ける感じ。決められた動きを与えられ、それをいかにスムーズに体現できるか。「こうすれば相手を投げられる」という動きが確立されており、ひたすら同じ動きを繰り返すことで体に覚え込ませます。
 この、技における自由と束縛の違いは、場を支配する空気にも表れます。ブラジリアン柔術の練習は自由です。肩肘張らない。決められた型はなく、想像や思いつきで練習が進みます。「そういうのもいいよね」とか「こんなのもありだよね」という発想が活かされる雰囲気。なので、それぞれのジムにも個性がある。
 対して柔道は伝統を重んじます。稽古の内容が昔から決まっている。礼に始まり礼に終わる。回転運動をして、受け身をやって、寝技をやって、立技をやって、後半は試合形式。おそらく、どこの柔道場に行ってもこんな感じのはず。柔道場による違いはない。
 ブラジリアン柔術が南斗聖拳で、柔道が北斗神拳のような。

『北斗の拳』より

 このように一見、同じように見えるブラジリアン柔術と柔道も、実はまったくの別物。同じような道着を着て、同じように組み技の格闘技だけれど、この二つは別種の競技なのです。

(2)緊急走行ができるかどうか。白バイと交番バイクの違い

 白バイと交番バイクも見分けがつきにくい。私は以前、警察官をしていたことがあります。交番バイクに乗って移動していると、子どもたちに「あ、白バイ」と指を差されることがあり、そんな時は複雑な心境でした。「白バイ乗りなんて大層な者じゃないよ……」と思いつつ、にこやかに手を振る。

神奈川県警より、交番バイク

 白バイと交番バイクの大きな違いは、緊急走行ができるかどうかです。緊急走行をするには、赤色灯とサイレンが必要。赤信号を突っ切ったりと安全のために交通ルールが決められている日本において、交通ルールを無視することが緊急走行には認められている。そのためにはクリアすべき条件があって、それが赤色灯の点灯とサイレンの吹鳴です。緊急走行をするには赤色灯とサイレンの設備がなければならず、その設備が白バイにはあり、交番バイクにはない。故に、白バイは緊急走行ができるのに対して、交番バイクは緊急走行ができない。
 この違いが顕著に表れるのは、交通違反の取り締まり時。緊急走行ができる白バイの方が、取り締まりを幅広く行えます。例えば信号無視車両の取り締まりは、緊急走行ができなければ難しい。緊急走行なくしては違反車両に追いつけない。違反車両は信号無視をするうえ、スピードを出しているし。加えて拡声器がなければ、声をかけて止めることもできません。
 それに白バイに乗っている警察官の方が十中八九、意識が高いです。交番バイクには、警察官であれば誰でも乗れます。免許的にも技術的にも。警察官であれば採用試験の時点で運転免許を持っているので、特別に交番バイクに乗るための資格はいらない。それに、警察官になるくらいの体力があるのなら交番バイクにも乗れるはず。交番バイクは多くの場合、原付二種。なので、警察官採用試験に受かるくらいなら乗れるのです。
 対して白バイの運転はそう簡単ではありません。恐らく白バイ隊員には「自分は白バイ隊員なんだ」という自負があるはず。選考を突破し、試験に合格し、競争に勝ち抜いた警察官が白バイに乗れる。やや持ち上げますが、彼らは選ばれし者なのです。
 だから、交番バイクに乗っていて子どもたちに「白バイだ」と指さされると、対応に迷う。「白バイ隊員じゃないんだよ」と思う反面、「小さいお子ちゃま相手に、こだわる事でもなかろう。軽く手を振るのが正解だ」とも考えるのです。

 こんな風に、柔道とブラジリアン柔術の違いがわからなかったり、白バイと交番バイクの見分けがつかなかったり。共通性を持つが故に二つのものを混同してしまう誤りが「アナロジーの誤謬(類比の誤謬)」です。

2.不当な類推とは

 不当な類推とは誤謬、いわゆる判断ミスです。〇〇と●●を単に混同するだけ(アナロジーの誤謬)でなく、「〇〇は●●と似ている。〇〇は□□だから、●●も□□だろう」という短絡的な決めつけ。

(1)ブラジリアン柔術が楽しいのだから、柔道も楽しいだろう

 私は20代の頃、ブラジリアン柔術のジムに通って楽しかった記憶があります。なのでブラジリアン柔術と似ている柔道も警察学校で楽しめるのかと思いきや、全然楽しめませんでした。

ブラジリアン柔術ジムの風景

 私は20代の前半、ブラジリアン柔術のジムに通っていました。格闘技好きの学生だったからです。テレビやレンタルDVDでPRIDEや修斗を見て憧れ、社会に出て小銭が貯まった頃にジムに通い始めました。
 特にブラジリアン柔術のジムは楽しかった。ドアを開けてジムに入るとマットの上で先生が昼寝していて、「この人は自由な社会人だな」と思って見ていました。練習に参加しても新鮮で、人体の不思議に触れる様でした。「こうすると人は動けないのか」「こんな所が痛いのか」と。人間関係もおおらかで、寛容な人が多かったように思います。
 このように、ブラジリアン柔術は楽しかった。だから私は「似たような柔道も楽しいだろう」と考えたのです。が、これは不当な類推でした。採用試験をクリアして警察学校に入校した私は、柔道の面白くなさにやられました。というのも、自由さが無い。何もかもが初めから決められているので。礼に始まり礼に終わる。直立不動で先生の話を聞く。壁には技名が手技、腰技、足技の順に書かれており、そこには創造性なんてものはありません。
 運命論ではありませんが、予め全てが決められているのです。授業も先生によって決められており、余計なことをした生徒には制裁が加えられます。実際、クラスメイトが授業中、先生から袋にされました。柔道の授業中、乱取りが終わってみると、畳の上に一人の生徒がうずくまっています。片腕をおさえており、どうやら乱取り中に腕を痛めた様子。先生による整列の合図がかかっても、その生徒はうずくまったまま。立つのもしんどかったのだと思います。ところが、その様子を見た先生は、生徒をいたわるどころか急に怒り出し、うずくまっている脇腹に向かって足蹴り一発。ひっくり返った生徒の体に、さらに追い討ちの足蹴り。それを見てポカンとする他の生徒たち。柔道場に響く先生の怒鳴り声。「この野郎、女みてぇにピーピー泣きやがって。俺はなぁ、お前みたいな弱虫が大嫌いなんだよ!」。先生が一通り生徒を蹴り終わったところで、先生は控え室にノッシノッシと立ち去って行きました。その授業の終わりに、普段は先生が一言述べるところなんですが、怒りで先生は柔道場に現れず。代わりに体育委員が先生のお言葉を承って来ました。曰く「あの…先生が仰っていたんですが、僕たちは警察官なので、痛くても『痛い』と言ってはいけないと。怪我をしてもそう簡単に『怪我をした』なんて言うもんじゃないと……。」
 このように、柔道は全てが予め決まっており、予定調和を乱してはならない。自由であってはならない。束縛である。だから、「ブラジリアン柔術が楽しいから、似たような柔道も楽しいだろう」は不当な類推だったのです。

(2)白バイが追いかけるんだから、アンタも追いかけなさい

 白バイと交番バイクもよく混同されます。これはアナロジーの誤謬。けれど、交番バイクと白バイの違いがわかっているにも関わらず同じ判断を求めてしまうと、それは不当な類推となります。

神奈川県警より、白バイ

 交番バイクと白バイは、見た目から違います。白バイ及び白バイ隊員は、仰々しい格好。白色を基調とした大型バイクに乗って、大抵、青色の服装をしている。それに対して交番バイクは、普通の警察官が乗るもの。街でよく見る制服の警察官が、ヘルメットを被って乗るのが交番バイクです。
 以前、こんな不当な類推をされました。「白バイが追いかけるんだから、アンタも追いかけなさい」と。私が交番バイクに乗って赤信号待ちをしていた時です。目の前で信号無視をするバイクがありました。私が信号待ちをしている後方から、交差点をバイクが突っ切って行ったのです。私は信号無視を確かに見ました。が、追いかけることはできません。というのも、緊急走行ができないからです。交番バイクには赤色灯もサイレンも付いていないので、赤信号を突っ切れません。もしも私が白バイ隊員で、私の乗っているバイクが白バイなら、追いかけられたのでしょう。赤色灯を点灯し、サイレンを吹鳴して交差点を突っ切る。速度をいくらでも出して違反車両に追いつき、拡声器で停止を求める。が、私が乗っていたのは交番バイクです。止まって見ているしかない。それなのに、近くで横断歩道を歩いていたおばさまに叫ばれました。「白バイが追いかけるんだから、アンタも追いかけなさい」と。このおばさまは、テレビか何かで、赤信号無視を追いかける白バイの映像を見たことあり、それで私に「アンタも」と叫んだのでしょう。これは不当な類推です。確かに交番バイクと白バイは類似しています。どちらも警察の二輪車だし、乗っているのは警察官。が、だからと言って、白バイと同じように交番バイクも赤信号無視の違反車両を追いかけられるのかというと、それは間違いです。なぜなら、緊急走行の可否という重要な相違があるから。白バイは緊急走行できるし、交番バイクはできない。だから、「白バイに似ている交番バイクも緊走せえ」はムリな話なんです。

 以上のように、ブラジリアン柔術が楽しいからといって、それに似ている柔道まで楽しいとは限らない。白バイが緊急走行できるからといって、それに似ている交番バイクが緊急走行はできない。「〇〇は●●と似ている。〇〇は□□だから、●●も□□だろう」と決めつけては、不当な類推なんです。

3.まとめ

 どうでしょう。「アナロジーの誤謬」と「不当な類推」の違いでした。私は、『戦争論理学』の本を読んでいて、この違いがわからなくなりました。

 『戦争論理学』の下記文章が疑問だったのです。

アナロジーの誤謬は、複数のものが共通性質を持つがゆえにその二つを混同する誤り。不当な類推は、複数の判断が、共通の重要テーマへの共通の姿勢を含んでいるからといって、同じ判断だと考えてしまう誤り。どちらも表面上の共通性を媒介として重要な区別を見そこなう誤謬なので、実践的には一つにまとめてもよいだろう(ただし同一視するのはーアナロジーの誤謬となる)。

『戦争論理学』

 面白いですよね、「ただし同一視するのはーアナロジーの誤謬となる」って。私はアナロジーの誤謬と不当な類推を同一視して、アナロジーの誤謬に陥っていました。
 実際は、アナロジーの誤謬は本記事の実例よりもっと難しいようです。ブラジリアン柔術と柔道や、白バイと交番バイクのような容易な違いでは無く。善と利や、愛と欲を混同したり。例えば、家族を養おうと、職場に貢献しようと利益を追い求めているうちに、いつの間にかその利益は善ではなくなって不当な利益になっていた。けれど当の本人は視野狭窄になって、利を善と同一視していた、とか。

 下記の本を読んで「不当な類推」の理解を深め、「アナロジーの誤謬」との違いもわかりました。

 警察の思い出から、「アナロジーの誤謬」と「不当な類推」の違い、でした。


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