パニック障害
パニック障害で苦しんでおられる方は多くいると思います。
重症になると家から、部屋から出られないこともあると聞きます。
私は、病院に受診したわけではないので、正式にパニック障害と
言われたわけではないのですが、同じような症状が出ました。
そして私なりに症状が出ないようになり生活を送っているのですが
その方法を書いていきたいと思います。
初めて、その症状が出たのは従姉妹と出かけた時の事です。
一泊の予定で、出かけてショッピングや温泉などを楽しみ
夜更かししていろんな話をして、帰る日の朝。
昼過ぎの電車で帰宅予定だったのでお土産を買いに行こうという事になりました。
休日だったために、混雑している店の中。
お土産を選んでいたら、突然の動悸と耳鳴りで倒れそうになりました。
少し人込みを離れて、壁にもたれ掛かっていると収まってきましたが
倒れるかもという恐怖が残って、従姉妹と話して駅のホームに向かい
ベンチに腰掛けて休んでいました。
その時は、それで収まりました。
前日に夜更かししたせいだと思っていました。
それから数週間後に、スーパーでレジで待っていると
同じように耳鳴りと動悸、手が震えてきてまた倒れそうになりました。
なんとか会計をすませて車の中に戻ると落ち着きました。
一体、これはなんだろう?
と、ネットで調べるとパニック発作と言うのが症状で一番しっくりくるものでした。
当時の私は、休日がほとんどない激務で、休日も誰かと会うよりも
寝ていたい。朝から遅くまで仕事をしていて、友達の誘いもほとんど断っていたほどです。
その頃の会社は、ギスギスしていて仲良かった幹部の仲がこじれていて
私その間に挟まれる形でした。
中立の立場でおりましたが、幹部がお互いがお互いの悪口を言っているような状況。両方の話を聞いていたので両方に言えないことを私が抱えている状態でした。
もともと『ここだけの話だけど・・・』とか『オフレコで・・・』と
言う話を持ち掛けられることが多かった私は、知ってるけど言えないと言う
ことを多く抱えたままの生活でした。
仕事の愚痴を友達に話したところで、何も解決するわけじゃないので
誰にも話したことはないし、そういうものを多く抱えていた時だったので
ストレスが凄かったんだと思います。
パニック発作は、色んな症状がその人それぞれで
私の場合は、まず耳鳴りからはじまり動悸、視界がおかしくなる、手が震える、過呼吸のような症状でした。
それが起きるのが、スーパーのレジ・赤信号で停車しているとき、室内に多数の人が集まるようなところなど。
一番困るのがスーパーのレジ。
混雑しているときに待っていると、心臓がバクバクしてきて過呼吸になり
立っているのもやっとの状態だったので、買い物が困難になってきて
比較的レジのスピードが速いコンビニなどですませていました。
なので、全てのもが高くついて本当に辛かったです。
車を運転していても赤信号や踏切で停車していると動悸で手が震えてきて
ここで意識を失ったら大事故になってしまうんじゃと思うと
更に過呼吸の症状の出てきて、なるべく信号が無い道路を迂回するようになったりと普段の生活にも支障が出ていました。
誰にも話せず、ずっと誤魔化し続けて、何とか毎日を乗りきる生活をしていました。
逃げようとして逃げられない空間。室内や、誰かの車、電車や飛行機も苦手になり始め、このままどこにも行けないんじゃって思う生活でした。
この頃はパニック障害の本をたくさん読みました。
ネットの記事や誰かのブログも手当たり次第に読み漁りました。
そこで唯一の救いになった言葉が
『パニック障害で死ぬことはない』
という言葉でした。
もちろん、車道で倒れたとか、倒れた時に打ち所が悪かったなどで
死ぬことはあっても、パニック障害が原因で死ぬことはないというのは
私の中で、とても救いになりました。
動悸がして心臓があり得ない鼓動をたたきだすと
このまま死んでしまうのではないかと言う恐怖感
手や足が震えてきて立っているのも難しくなり
何度も恐怖感を味わいました。
丁度、その頃コロナが発生して自粛ムードになり会食や飲み会がなくなり
葬儀なども焼香のみになったりしたことで、私の発作が起こる頻度が少なくなりました。
正月に毎年帰省するのもバスと飛行機の距離だったので
コロナなので帰省しないと言って、初めて帰省しなかった年です。
パニック発作の事は誰にも話せませんでした。
ですが、免許の更新がありました。
30分の講習ですが、その日に行かなくては更新出来ないという
最後の日でした。
体調はあまり良くなかったものの行かなくてはならないと緊張しながら
行きました。
少し話を聞いて映像を見るだけだからと頑張って向かったところ
コロナ真っ最中だったので、テーブルを撤去されていて
椅子が間隔をあけておいてあり、映像ではなく30分話を聞くという
一番苦手なスタイルでした。
狭い室内では、入り口の近くに座っていると割と安心なのですが
この日は混んでいて、室内の奥の方の席しか空いてませんでした。
嫌だなと思いながら、その席に座ると5分ほどで症状が出始めました。
動悸がし、耳鳴りがして、手が震え始め、過呼吸の症状が出始め
過呼吸は息を吸いすぎるから吐くことに意識を向けた方がいいと読んだので
必死に息を吸うより、吐いて地獄のような長い30分を耐えました。
終わった時は歩くのもやっとの状態でした。
それでも、何とか耐えられたというのは私の中で大きかったです。
出来たという成功体験を増やしていくといいというのも
パニック発作の治療で、その頃から私は考えを変えて
死なないなら何とかなる。
周りに人がたくさんいるから倒れても誰かが助けてくれる。
と思うようにしました。
パニック発作が出た時に、頭の中でその発作を殴るような動作を思い浮かべるという記事を読んで、それを実践するようにしました。
私の場合は、ひょこっりはんという芸人さんが壁からこちらをのぞき込むようなイメージで、パニック発作が出始めた時に壁からのぞき込んでいる
パニック発作を殴って、ひっこめる。
と言うイメージしてました。
笑える方法ですが、これが割と私には効きました。
パニック発作が出てからの初めての帰省も行くまでは本当に怖かったのですが、多少症状は出たものの、何とか無事に実家に着いて
また一つ出来た!が増えた瞬間でした。
今ではスーパーのレジ、赤信号や踏切、飲み会で症状が出ることはほとんどなくなりました。
多分私の症状はそこまで重くはないものだったと思いますが
私にとっては本当に怖いことでした。
今も苦しんでいる人はたくさんいると思うし
少しでも役に立てたらと記事を書いてみることにしました。