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VTSとミルキクさんにあった話

だいぶ過ぎてしまったけど、4月の半ば頃に一時帰国した際、調布の某所でミルキクさんにお会いしたよ。

ミルキクさんにとっては、とても大事な日だったのにも関わらず、時間をとっていただき感謝しきり。

体こそは大きいけど、表情がとても柔らかく、非常に穏やかな雰囲気を全身から醸し出す好青年だった。しかもお医者さん。
すごい頼れる感じのする温かい人という印象が今でも強い。

2時間くらい?話をさせていただいたけど、とても有意義な時間を過ごせた。

そのなかでもVTSについての話がとても参考になった。

課題型VTS?

上記に挙げた氏のNoteでも書かれているように、いま我々がVTSと呼んでいる手法は、いわゆる本家のVTSとは違っている。一般的に言われているVTSは「対話型美術鑑賞法」と訳されるように、対話が主の鑑賞方法だ。

なので、いまNote上で行われているVTSは、それとは一線を画すものになる。

ただ(ミルキクさん命名の)「課題型VTS」でも思考の使い方と踏んでいるステップは同じなので、こちらも紛う事なきVTSだ。

実際、何度か他のnoteでも書いたように、アメリカの人たちとアジアの人たちでは、ディスカッションに対しての慣れが違いすぎるので、「対話型」をそのまま持ち込んでも根付かないだろうと思っている。

しかし一方で、自分が生徒によく言うのは「発言しなければ考えていないのと同じ」。
発言がなければ、どんな思考があったとしても認知はされない。認知のない意見は育たないと考えているためだ。
認知は思考の栄養と言ってもいいと思う。

そこで、それを両立するために、ノートなどに意見をまとめるというのは、一つの方法だと考えている。要はそれを持ち寄り、お互いに認知しあうことで、さらに自分の意見を豊かにしていければいいのだ。

ただ、欲を言えば、他の人の意見を見た後で、さらに自分が何を発見したのかをシェアするところまでを一つの流れでできれば、もっといいのかなと思った。




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