カンボジア人の理解力
いきなりだが、カンボジア人の理解力(学力ではない)は高くない。
自分の感じた結論から言ってしまうと、一般大学を卒業した程度で日本の小学校卒業程度、カンボジア最高学府のプノンペン大学を卒業した程度でようやく日本の中学校卒業と同等レベルと考えている。
別に彼らをバカにしているわけではなく、実際バカではない。問題は、彼らが受けてきた教育制度にある。
現在は、各国NGOなどの努力により変わりつつあるのだが、10年前の教育は酷かったと聞く。
それこそ理科の教科書にすら一切挿絵がなく、文章だけで説明割れていたそうだ。もちろん教師側もまともな教育を受けていないので、彼ら自身が教科書が理解できず、生徒に噛み砕いて教えることもできない。そのような教育レベルでは、すべて文章を暗記する以外の方法がなく、彼らの脳みそは教科書に書かれていることの保存箱でしかなかった。そこに疑問を挟むことは厳禁だった(というか、だれも答えられないため)
また、彼らの文化的なことも背景としてはある。
こちらでカンボジア人スタッフたちと仕事をしていると、彼らが電話で「バー、バー、バー(はい、はい、はい)」以外のことを言っていない光景を目にすることがある。これは、目上の人に意見をしてはいけないために、「バー(はい)」以外のことが言えないのだ。日本人からすると驚くことに、「なるほど」などの相槌すら失礼にあたるらしい。
なので、目上の者の意見は何も考えず一字一句覚え、そこに自分の考えを挟むことは許されていないのだ。
このような背景を持つ彼らに「もっと考えて」と言ったり「自分の意見」を求めても、急にそのようなことができるわけがない。
日本人がカンボジア人と一緒に仕事をする上では、まずこのことを理解する必要があるのだ。