(余談)カンボジアについて2
前回はカンボジアの人の一般的なものの見方を紹介したけど、最後にちょっと触れたように都市部では変わりつつある。
やはり、理由としては外国人と触れる機会が多いためだろう。
都市部では、外国人と接しない職業はない。
閉鎖的な工場であろうとも、上司は外国人であることがほとんど。
そのため、外国人がどのような考え方をするのかを知っている人も多く、それに合わせようとすれば、おのずと自分自身を変える必要があるのだ。
個人的には、カンボジアの人たちが以前の価値観のままでいたいと思うなら、それでもいいと思う。
しかし当然、他の国のような発展は諦めるべきだ。発展を望むなら、変わることは必須条件である。
変わろうとする人も変わりたくない人もいる。
今はちょうどその過渡期にあたるのだと思う。
自分としては、変わろうとしている人を、いかに助言することができるのか常に意識している。
あくまで助言のみで、変わるのは彼ら自身でなければならない。
また、変わりたくないと思っていた人も、変わった人をみて羨ましいと思えば、自分も変わろうとするだろう。
価値観を変えたくない人って、具体的に誰?
これは、主に農村部の人たちや、お金持ちの人たちだと考えている。
都市部の中間層の人たちは、変わることで生活を豊かにすることに比較的に真剣だ。
田舎の人たちが変わろうとしないのは、やはり価値観を変えたことによるメリットが見えないからだろう。
いくら教育が必要なんだ・価値観を変えるべきなんだと伝えても、生活を豊かにするビジョンをまるで持ってないので、理解できないのが現状なのである。どうせ農業を継ぐのに、そんなに教育がいるのか?と考えているのだ。
逆にカンボジアにいる金持ちの子たちは、現状に満足しているので、それはそれで変える必要を感じてないのだ。
彼らは良い学校に通って適切な教育を受けていると思われがちだが、決してそんなことはない。
ぶっちゃけて言えば、学費が高いだけの内容のない学校がほとんどだからだ。
なぜならインターナショナルスクールは、プノンペン市内はもとよりカンボジア全土に数多く存在する。あきらかに過剰気味なのだ。
なので、各校で生徒の取り合いが発生してしまい、生徒は辞められないようにお客様状態になってしまっており、成績は度外視されてしまっている。
結果、英語だけはやたらうまいが、中身は貧民と変わらないような子たちがとても多い。
(金があって頭空っぽでない子たちは、海外に留学する。そして帰ってこないことが多い)
重要なのは、カンボジアの未来を握っているのは、こういう金持ちの子たちなのだ。
地頭の良さというのは、どんな国の人でも変わらない。
問題は教育なのだ。それは貧困層も裕福層も変わらない。
なので、カンボジアの教育基盤を変えたければ、まず近い将来に活躍が期待できる子たちを教育するのが一番良いと考えている。
何よりも先に、カンボジアの人たちが将来のことを考えることのできるような、教育の大切さを体現するモデル人材の育成が不可欠なのだ。
プノンペンの人たちが変われば、嫌が応にもそれは地方にも波及して行く。
実際、最近のバッタンバン(カンボジア第二の都市)が急速に発展し始めている。
上が動かないのに、下が動くわけがない。まずはそこから。