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平安時代の推し論争
今日は平安時代の推し論争について。論争というよりは論議に近いですが。
余談ですが、今回の漫画はクリスタとアイビスを両方使ってみてます。
クリスタは練習中……。
というわけで、周りの人が「涼が優れてる!」と言ってるなか、和歌で仲忠を推す公任さんのお話でした。
今回は和歌の解釈が専門的なので、正確に紹介するため、ガッツリ参考文献を引かせていただきました。漫画にも注を書いたけど改めて記述すると、和歌の表向きの訳は『公任集全釈』(風間書房)(※以下、『公任集全釈』と表記)の引用、公任さんが込めた意味については「『うつほ物語』の成立をめぐって」(中野幸一『国文学研究』43 P88〜99)(※以下「『うつほ物語』の成立をめぐって」と表記)という論文の解釈を参考にざっくり訳を作りました。
和歌は難しいので……ええ……。
平安時代の人、知識ありまくりだから裏に意味を込めるの上手すぎて、素人解釈じゃ読み取れきれないんだよなあ!!
続けて私が解釈した部分についての補足を。先述の『公任集全釈』を参考にまとめます。
ざっくりと「皇族」としましたが、正確には「円融院の時代に、冷泉院の皇子や内親王たちが集まってお話ししていた」ということです。中にはあの花山天皇もいたっぽい。
2コマめ・3コマめが最初主語を勘違いしていた部分で、ちょっと読み取りづらかったところですね。
原文の該当箇所は、
女一宮はなかただが方におはしけるにや、「いづれをいるる」などあるに、「ものな言ひそ」とおほせられければ、ともかくもいはでおはしけるを、いひにおこせたまふければ
とあって和歌に移っています。
これの現代語訳は、
女一宮は仲忠側でいらっしゃったのだろうか、誰かが「どちらに味方しますか」など私(※)に言ったところ、院が「ことばをさしはさんではならない」とおっしゃったので、何も言わずにおられたところ、批評を乞う旨を言ってよこされたので
(『公任集全釈』より引用)
※私=公任さん
となるそうです。
女一宮が、公任さんは仲忠びいきだと知っていたのかはわかりませんが、院に自分が発言することを許されなかったので、代わりに公任さんが仲忠の味方してくれないかなあと期待して批評をお願いした可能性はありますね。
そして自分の意見をわざわざ歌にする公任さんである。
最初私は、「何も言うな、と言われたから、和歌詠みました」って話だと思ってたんですけど、「何も言うな」というのは女一宮への言葉だったようなので、公任さんは趣味で和歌にしたって感じでしょうね。もちろん和歌の技術を見せておいた方が覚えがめでたくなるからという意図もあるでしょうが……本当に和歌大好きだな。
その場ですぐに詠むのはラップのフリースタイルみたいなものかもしれない。
この和歌のすごいところが、一つの意味では終わらないところですね。ただの掛詞ではなくて、歌全体が二重三重の意味を持っている。
この和歌をストレートに読むなら、
海風が沖の波を吹き上げるような浜辺に家を構えて、ひとりだけが涼しい思いをしていてよいものでしょうか。
(『公任集全釈』より引用)
という解釈になります。これだけでももちろん和歌になりますが、公任さんが本当に言いたかったのはそれだけではないのです。
まず、「吹上の浜」というのはうつほ物語で涼が住んでいた家です。だから、「ひとりだけ涼しい思いをしている」のは涼、それで反語なので、「ひとりだけ涼しい思いをしていて良いのでしょうか?いや、良くない」→涼への否定→仲忠がいいよね!ってことです。
これだけでも公任さんが仲忠推しであることが読み取れますが、もう一段階意味があるのですね。
『うつほ物語』は、『源氏物語』よりも前にあったことがわかっている古い物語です。平安時代は、『うつほ物語』の主人公仲忠とそのライバル涼のどちらが優れているかについて論議することが度々あったそう。清少納言も『枕草子』で仲忠推しだと言っています。握手して「わかる」って出来そうな二人。やはり清少納言と公任さんは、なんだかんだで気が合うところも多かったんでしょう。
この議論は「文学論」というか、学問としての論議なのですが、女房なんかは気軽にきゃっきゃ話してたりすることもありそう。てことで私は理論立てて推しを推す会みたいな感じで捉えてます。
ここで『うつほ物語』について軽く補足を。(参考にしたのは「Wikipedia」)私は、まだビギナーズクラシックでしか読んでないので(何せ長いので)、また改めてちゃんと読みたいなあと思っている古典文学です。ダイジェスト版であるビギナーズクラシックでも、エモシーンは色々出てきます。
なんで「うつほ物語」という名前なのかというと、主人公の仲忠が、幼少期に母と森の木の洞=うつほで育ったことからなんですね。後に父と母が再会して引き取られるので、一時期ではあるのですが、貴族の血を引く少年が木の空洞の中で育ったというのはインパクトがありますよね。
仲忠と涼は「あて宮」という姫をめぐって争うライバルです。『源氏物語』でいうところの光源氏と頭中将みたいなものですね。ちなみに仲忠は祖父がなんやかんやあってペルシャで天人やら仙人やらから教わった琴を継承しているので、一番の特技は琴。物語全体のキーアイテムとして琴がちょくちょく出てきます。
しかし、結局「あて宮」はどちらも選ばず、春宮(皇太子)に入内してしまうという……。恋愛面ではハッキリした勝敗はつかなかったという感じですね。
今回の話で大事なのは、巻の名前。今回はWikipediaのを引用させていただくと、
俊陰・忠こそ・藤原の君・嵯峨院・梅の花笠(別名:春日詣)・桂・吹上(上下)・祭の使・菊の宴・あて宮・初秋(別名:相撲の節会)・内侍のかみ・田鶴の群鳥(別名:沖つ白波)・蔵開(上中下)・国譲(上中下)・楼上(上下)
となります。吹上の巻は沖つ白波よりも結構前の巻なんですね。
公任さんの歌には、「沖つ波→沖つ白波の巻」「吹上の浜→吹上の巻」という意味が込められています。これを踏まえた全体の意訳について先述の「『うつほ物語』の成立をめぐって」から引用すると、
沖つ白波の巻まで読んでごらんなさい。『吹上』の巻の素晴らしい御殿にばかり気をとられて、ひとり涼だけをよいとばかり言えるでしょうか
となるそうです。
と、いうことでこの一首、実は色々と意味を持たせた和歌だったんですねえ。
公任さんに意見を求めた女一宮も、これにはにっこりって感じだったでしょう。頼もしい同担。
以上、いつもよりちょっと煩雑になってしまった気がしますが、解説ではできるだけ正確に意味がとれるように留意して解説したつもりです!
私がこの場面を取り上げた理由としては、「平安時代も二次元の推しについて意見を言い合ってたんだなあ」という点でしみじみエモさを感じたからですね! 皆さんに伝わってくれれば嬉しいです!
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