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四十の手習い、まず簿記

誰かと会う約束や頼まれた用事でもないと、ぼんやりと過ごしがちになる。新型コロナが田舎でも身近になってきた感があり、且つ、緊急事態宣言も出て、家で大人しくしている。ぼんやりしがちな時間が増えたように思う。探せばいくらでも、掃除でも筋トレでも、やったらいいことが出てくるんだけど。

最近は家事や家業の手伝いのほかに、小説読んだりnoteに日記を投稿したりして過ごしている。noteは二か月ほど前に始めて、思考の整理をしたり、自分語りを楽しめるようになってよかったのだけど、まだ無為に過ごす時間の分量が多い。この先もぼんやりした時間が多めの生活を続けていくのは、果たして自分にとっていいのか。不安になる。

ここでちょっと「自分にとっていい」について。思いつくのは「未来の自分に投資できた」「気分が上向くことをした」「人の役に立った」辺りで、軽く考えたくらいだけど、しっくりくる。

普段の生活で家事をして家族には多少役には立っている。でも、もうちょっと家族以外で役に立つことなり、未来への投資だったり、できることがあるだろと思う。で、何をしたらそれが叶うのかと考えるのだけど、これと言って積極的に手を出したいことが思いつかない。強いて言えば、簿記の勉強。家業の帳簿を何年もつけていて、それっぽい決算書を作り上げることはできるのだけど、実はよくわかってないことがちらほらある。

簿記くらいしか思いつかないけど思いついたのならやってみようと、おととい本屋で簿記の本を買ってきた。せっかくだから日商簿記3級でも受けてみよう。

厚みのあるテキスト兼問題集はカラーのイラストが多めの、とっつきやすそうなものにした。勉強なんて何年ぶりだろう。ゆくゆくは試験を受けると思うと、やる気が出てくる。純粋に学びたい欲は弱いけど、試験というゲームがあるなら頑張れる。

積極的に始めたことじゃないけど、手を出したら意外と気分が乗るものなんだな。確実に何かが叶うと思えなくても、手を出してみるもんだ。無意識にはびこっていた、自分は何も成していない焦りが薄れた。簿記を勉強して今より人の役に立つと思えなくとも、将来の投資になる気がしなくとも、打ち込める何かがあるのは心強い。簿記の試験に受かったら、自分はまだ頑張れるんだと、自信が付くだろう。そしたらその自信を源泉に、次のチャレンジに向かえる気がする。なんだか、脱皮をした気分だ。

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