『鼻もちならない女たち』 Ⅰ クソフェミ論争 2 女性専用スペース問題(ジェンダーレストイレ、公衆浴場、女性用下着売り場)
この問題で最も不思議なことはLGBTのうち身体は男性で心が女性の人ばかり論点に上がりがちな点だ。考えてみたが、性別で利用できる人が分けられたスペースでは女性の身の安全が脅かされやすいからだと思う。
トイレの個室などの人目につきにくい場所に連れ込まれて性的暴行に遭う被害は男性より女性の方がリスクが高い。「そんなの一発やらせれば気が済む」とのたまう人間もいるが、女性の意思決定権を侵害する発言であり、犯罪を助長し、さらなる被害者を増やす遠因になりかねない。望まぬ妊娠、精神的な苦痛からの男性不信、暴行が原因で妊娠できない体になったりする、あるいはレイプ後に殺害されるなどの過去の事例が山ほどある。それらを無視したその発言は到底容認できない。
女子トイレや公衆浴場には母親しか面倒を見ることができない場合は男児が入ってもいいかという問題もある。少し前は何歳までなら可かという議論が主流であったが、最近では男児のイタズラに辟易した女性達が男児禁制を訴えている。
あまり比較したくはないが、女児より男児の方が公共スペースで他人に迷惑をかける傾向が強いと思われがちだ。特に裸の女性がいる公衆浴場では女性の裸を見ることによる興奮や、自分だけが場違いであることに対する恥ずかしさを紛らわす防衛本能が働き、よりイタズラに走りやすいのではないかとすら思う。イタズラといってもまじまじと胸を見つめられたとかの男がよく言う「減るもんじゃない」セクハラが大半だ。しかし、その男児と接点のない無関係な女性からしてみれば不快だし、マナー違反であり大変失礼な行為なのである。よその子供を叱りつけるわけにもいかないし、母親の態度によってはさらに腹が立つ場合もある。日本では特に男の性的な関心を躾ける方法論が確立されておらず、母親も対応の仕方に困っているのかもしれないが、迷惑をかけられた方にそんな事情は関係ない。
男性側からの意見に女湯に入ったら女子のクラスメイトと会ってしまいとても気まずかったという体験談もある。それだけでイタズラに及ばない男児であったならいいが、中にはその気まずさゆえに武勇伝的に女湯で見たものを教室で言いふらして「自分は平気ですよ」アピールをする男児もいる。男児にも男としてのプライドがあり、女湯に連れて行かれることで母親の監督がなければよその風呂にさえ入れない自分の弱さ、選択権のなさ、子供っぽさをわざといい体験だったと言い換えて正当化しているのだ。男児の母親は男児のそうしたメンタルの機微も少しは尊重してほしいと筆者は思う。小学生の男児を独りで男湯に行かせることは心配だが、男児が女湯に入ることで傷つけられるプライドもあるのだ。
父親が男湯に連れて行くか家族風呂に行くかという解決法があるとはいうが、シングルマザーであったり、家族風呂が高額だったり、さまざまな要因でどうしようもなく母親が男児を女湯に連れて行くケースがあるのだ。もしくは単純に育児に信用がない父親と2人で男湯に入れたくないというのもあるだろう。
脱線したが、この論点のもう一つの側面についても明示しておかなければならない。男性専用スペースの危険性だ。身体が男性のLGBTの人が男性専用スペースで落ち着かないのは男性側の配慮のなさが原因だという言説が見られている。母親しかそばにいない時、男児が独りで男子トイレや男湯に入れないのは男児に性的なイタズラをしたがる不審者男の存在があるからである。
日本語には「女子供」という言葉がある。かっこいい使い方では時代劇で戦の前に武士の男達が「女子供を安全な場所へ逃がせ」と言うシーンだ。戦国時代のような文明の発達していない世の中では女子供は戦えない弱い存在という価値観だったと解釈できる。現代は武器さえ持たせれば女子供でも戦えるし、少年兵などの国際的な社会問題もあるくらいだが、日常的に自衛のために武器を持つわけにもいかない。となると、一般市民は無防備な普通の格好で突然現れる不審者と戦わなければならないことになる。
男性スペースで懸念されているのは不審者その人だけではない。女性に比べて男性は人を助けようとする意識が低いという認識なのか、男性は誰かが不審者に襲われているのを目撃しても助けてくれないだろうと思われている。あるいは、服を脱ぐ前は女性のような見た目だったのに裸になったら男だったという人物を目の当たりにした男はその人をからかったりいじめたりすると思われている。男性はうっすらとシンプルにだが確実に女性からもLGBTからも子供からも信用されていないという現実にもっと自覚的になるべきなのではなかろうか。これは言い過ぎだろうか。
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