自由の代償
大学生になって、自由な時間が圧倒的に増えた。勉強以外の時間が。
小中高生の頃とは全く違う。
あのときは、与えられた課題を必死にこなしていくことで精一杯だった。
もちろん、今も学生ではあるから、勉強が本分であるし、課題とかもある。
でもその種類というか、テイストは変わってきたと思う。
昔は、”みんなに平等に与えられた同一の課題”
だとしたら、
今は、”自分で選んだ道で与えられているもの”
という感じ。
もっと融通が効くというか、より柔軟な感じ。
自分のことを自分なりにアピールできる枠が広がったイメージだろうか。
小さい頃は、何をやるのにも、家族なり先生なり誰かが、守ってくれて、
道に迷ったら、”おーい!そっちじゃないよ、こっちだぞー!”って手振って
正しい方向を示してくれる人たちが大勢いたけど、
大学生になると、一気にガクンとその人たちの数が減ったように思える。
むしろ、そういった人たちの示す「正しい方向とは何か」
みたいなことを批判的に考える機会も増えてきた。自由に自分の考えを表現
できるし、”皆はああ言うけど、わたしはこう思う”といえる。
とやかく言ってくる人なんて滅多にいない。やっぱり自由だ。
でもその分、自分でこれだと決めて行動するときには、
自分自身に対する責任がついてまわるし、
それをバックアップしてくれる人が必ずしもいるとは限らない。
自由であるには、代償がある。
それを今、ひしひしと感じている。