後数時間で25歳が終わる。今年はちょっと風邪を引いたまま26歳を迎えそうだ。笑 これまでなら、ぱっと文章でその歳のことを言い表せたのだけど、この歳ばっかりは難しそう。 それくらい、自分の中ではまた色んなことが起きた。毎度飽きないくらいに全然違うことが沢山起きる。人生って本当に何が起こるか分からないね。 転んで傷付いて、泣いて、怒って、笑って、ふとまた起き上がる。ただその波の間には、心底自分が幸せと感じる瞬間にも沢山巡り合った。 自分が幸せと感じられたその一つ一つの瞬間は
「今日の夜は買っておいた雑誌を読もう」「明日の朝ごはんは〇〇にしよう」 今を生きる自分の少し先に作っておいたワクワクを、楽しみを、一つずつ並べながら、追いかけて、誰と比べることもない幸せのかけらを日々集めて生きていきたい
辛い時も、誰かを想うことで救われる日がある。 私も誰かのそんな存在になれてたらいいな、と思う。
2020年12月31日。大晦日。 嵐が一旦活動休止をすると決めた日。 もはや5人の姿を見ることが、 いつからか私の日常の一部になっていて、 自分自身の生き方のベースには間違いなく彼らがいた。 大野くんの、歌も踊りもやること全てが多才で、それが影の彼の努力の結晶であったとしても決しておごらず、飾らず、”普通”で居続ける姿。 翔くんの、決して忙しさを言い訳にせず、学業と仕事の両立をやり抜いた努力と日々学ぶ姿勢。 相葉ちゃんの、人を選ばず大きな愛で包み込む優しさと自分
「僕、大学に1人も友達がいないんですよね」 就職活動中、とある企業のグループディスカッションで一緒になった1人が自己紹介中にそう話していた。 でも彼はどこか自信ありげで、むしろ堂々としていた。その後のディスカッションでも率先してグループをまとめていたし、とても聞き上手だった。 今でも、なぜかこのことは忘れず、時々ふと思い出す。 もし、わたしが彼の立場だったらどうだったんだろう。 大学に友達がいないことをきっと引目に感じて、何をするのもそれのせいにしてしまうかもしれな
時折、自分が無力でたまらなく感じることがある。 誰かに言われたことだったり、漠然とした不安だったり。 きっかけは様々だ。 気づけば、”わたしなんて...”と 思っている時がある。 他人の目が怖い。言動、行動、振る舞い全てがいつも以上に気になる。 そう感じ始めた時、足がすくむ。順調に見えた自分の足取りが重くなる。 でも、そんな時だからこそ見える景色がある。 ふと考えることがある。振り返ることがある。 夢中で、これまで走り抜いてきた道を ちょっと止まってしまっ
良くも悪くも、誰かのことを考えない日、なんてない。それが当たり前のことのように、誰もがお互いに、きっとどこかで繋がっている。たとえずっと家に1人でいたとしても。食べるものがある、住む部屋がある、娯楽がある。それらは全部、貴方の知らないところで誰かが紡いでくれたもの。
ここ数日、個人的に理不尽だと感じた出来事が多くて、塞ぎ込んでしまった。 この気持ちをどうしていいのか、分からなくて、二駅分を無謀に歩いたり、家の近くにある山の中を延々歩いたりした。そんなこと、普段滅多にしないので、自分でもびっくりしている。 結果、noteに書いてみよう、という結論に至ったので、思うままにタイプしてみる。論理など、めちゃくちゃだ。多分。 ヨーロッパへの旅行がなくなったこと。 友人が体調を崩し、大事を取って、キャンセルすることになった。 無論、これは私
昨日のバイト終わり。コンビニで、楽しみにしていた生チョコを持ってレジへ。店員さんが、「これ、美味しそうですね☺️」と声をかけてくれた。その一言が、とっても嬉しかった。ヘトヘトだった身体に染みた。そんなところから、人のあたたかさを感じられて、何だか幸せな気分になった夜だった。
大学生になって、自由な時間が圧倒的に増えた。勉強以外の時間が。 小中高生の頃とは全く違う。 あのときは、与えられた課題を必死にこなしていくことで精一杯だった。 もちろん、今も学生ではあるから、勉強が本分であるし、課題とかもある。 でもその種類というか、テイストは変わってきたと思う。 昔は、”みんなに平等に与えられた同一の課題” だとしたら、 今は、”自分で選んだ道で与えられているもの” という感じ。 もっと融通が効くというか、より柔軟な感じ。 自分のことを
私は、嵐のファンだった。 だった、というのは語弊があるかもしれない。今でも嵐の五人は、わたしにとってのヒーローで、変わらず彼らのことが好きで尊敬しているから。 初めて嵐を知ったきっかけは、小学生の頃。家が近くて仲の良かった友達が、嵐の大ファンだったから。その友達は、お母さんも嵐ファンで、塾の行き帰りで車に乗せてもらうと、いつも嵐の曲が流れていた。そのなかでも、truthがお気に入りだった。詳しい経緯は忘れてしまったけど、気づけばわたしは大野くんに夢中でした。 中学校に入
ふいに泣きたくなる瞬間、1日がある。 自分がつくり上げてきた自信がぽろぽろと崩れ出すとき。 あのときの、弱い自分が蘇ってくる。 変わったはずなのに、変えたはずなのに。 まだわたしの心のどこかにいた。 「努力家だね」 「よく頑張ってるね、偉いね」 周りからそう言われるのが嬉しかった。 いつからか、 “いつも頑張っていなきゃいけない” “常にベストな自分を更新し続けなきゃいけない” そう思うようになっていた。 自分の弱さ、自信の無さを、 人一倍の努力で隠そうとしていた。
小さい頃から、とても繊細で傷つきやすかった。 映画館とかテーマパークのアトラクションとかの、大きな音がする場所に行くと、耳を塞いでしまうくらい、敏感に色々なものを感じ取ってしまう。 誰も気に留めないような小さなことをいつまでもいつまでも考え込んでしまい、 自分のこのモヤモヤした気持ちを家族や友人に相談しても「気にしすぎだよ」「忘れた方が身のためだよ」と言われるだけ。 でも、気になってしまう。ずっとひとりで考えてしまう。 そんな性格だから、人の目も当然異常に気になる。