冷たくなっていた気持ちが、またあたたかくなった日のこと
ここ数日、個人的に理不尽だと感じた出来事が多くて、塞ぎ込んでしまった。
この気持ちをどうしていいのか、分からなくて、二駅分を無謀に歩いたり、家の近くにある山の中を延々歩いたりした。そんなこと、普段滅多にしないので、自分でもびっくりしている。
結果、noteに書いてみよう、という結論に至ったので、思うままにタイプしてみる。論理など、めちゃくちゃだ。多分。
ヨーロッパへの旅行がなくなったこと。
友人が体調を崩し、大事を取って、キャンセルすることになった。
無論、これは私の友人のせいでもないし、誰か一人の責任でもない。誰のせいでもない。それは分かっている、頭では。
しかし、大学生最後の春休み!と意気込んで、去年の秋から計画をしてきた。
楽しみすぎて、友達や家族、色々な人に話していたし、自分もずっとワクワクしていた。
それがなくなった。
泣いた。
どうしたらいいか、分からなくなった。
だって、ずっと楽しみにしていたから。
途中から、イライラしてきた。
誰にぶつければいいか分からない怒りを、どこに追いやっていいか分からず、
余計にイライラした。
そして、これまでに理不尽だと感じたことを思い出す羽目になった。いつも不思議なんだけど、嫌なこと一つあると、それが数珠つなぎみたいにどんどん連鎖して思い出されていくんだよね。
20数年生きてきて、過去に感じてきたことたちである。
誰かに笑われたことだったり、傷つけられたことだったり。
部活やバイト先、時に家族にも理不尽に怒鳴られたことだったり。
人よりもそういうことで傷つきやすくて思い悩むことが多いと感じるからこそ、余計に辛い。
そうして自分を惨めにした後、気付いたことがある。
不平不満からは何も生まれない
過去と相手は変えられないけど、今と、未来と、自分の振る舞いは変えていける
答えのない問いの結論は、どこかで、自分で落としどころを見つけなくてはいけない
そう思ってから、少しずつ行動してみようとして、
わたしの中で行き着いた先が、謎に延々と歩くという行為だったのかもしれない(笑)
だから、「もうおしまいにしたい。でも、」と踏みとどまれているのは、そうして行動しているうちに、そんな日でもふふっと笑える場面があったり、人の温かさに、ふと助けられることがあったりするから。
それこそ、家の近くの山のハイキングコースをひとり、歩いていた時のこと。
おじいちゃんと、小さい男の子の兄弟が前を歩いていて、
その兄弟は二人で元気よくその数を数えながら、階段を登っていた。
「じゅーう、じゅーいち、じゅーに」
「おじいちゃーん、はやくはやく!」
とっても楽しそうだった。
その横を通り抜けようとすると、
おじいちゃんも、兄弟も
「こんにちは!」
と挨拶をしてくれた。
そのあとも、
「こんにちは」
とすれ違う人が挨拶をしてくれる。
わたしも
「こんにちは」
と挨拶を返す。
自分から挨拶をする元気がなかったからこそ、このやり取りに救われた。
家に帰って、その日の17時から、嵐がインスタライブの配信をしていたので、覗いてみた。櫻井くんによると、全国の小中高が休校になったことを受けて、何かエンターテイメントを届けられたらという思いでライブ配信を決めたそうだ。
その言葉と嵐五人の心遣いに、大学生のわたしも胸を打たれた。
ゆるゆるなインスタライブを見ていたら、気付いたらまた笑っていた。
さあ、これからどうしようか。と考えていた。
また、少し、前を向けた。