We are not perfect, so what?
ふいに泣きたくなる瞬間、1日がある。
自分がつくり上げてきた自信がぽろぽろと崩れ出すとき。
あのときの、弱い自分が蘇ってくる。
変わったはずなのに、変えたはずなのに。
まだわたしの心のどこかにいた。
「努力家だね」
「よく頑張ってるね、偉いね」
周りからそう言われるのが嬉しかった。
いつからか、
“いつも頑張っていなきゃいけない”
“常にベストな自分を更新し続けなきゃいけない”
そう思うようになっていた。
自分の弱さ、自信の無さを、
人一倍の努力で隠そうとしていた。
だから、努力は惜しまなかった。
自分の努力でどうにかなることは、どうにかしてきた。
でも、現実はそんなに優しくはない。
自分だけがどれだけ頑張っても、報われないことがある。相手から馬鹿にされたり、見下されたり、傷つけられる。
“あれだけ頑張ってきたのに”
“たくさん悩み、これだけ辛い思いをしてきたのに”
すごくすごく悔しいし、悲しいし、傷つくけど、残念ながらうまくいかないことはある。それが人間だから。
私たちはロボットじゃない。
「ここを直せば完璧な人生です」
「こうすれば、(100%) あなたの人間関係は生涯良好です」
そんな風に人間の仕組みも出来ていたら簡単だろうけど、そうじゃない。私たちはとても完璧になんてなれない。
でも、完璧じゃないけれど、
私たち人間には、素敵な特性があるのだと、ふと思った。
それは、
不完全ゆえの失敗や経験から学び、次はどうしようかと考え、未来を想像できること。
今、私たちが生活できている世界は、そうやって生まれてきたものでできている。住む家がある、食べるものがある、着るものがある。世界中で起こっていることをスマホやパソコンを通じてリアルタイムで把握できる。そんなことができるのは、長い歴史の中で人が様々なことを経験し、学び、次に繋げてきたから。
ちょっとスケールが大きくなってしまったけれど(笑)、
そう考えてみたら、
ふとしたときに顔を出す、弱くて自信なさげな自分を、抱きしめてあげたくなった。完璧じゃなくても、たくさん失敗して傷だらけになっても、それはそれで必死で生きている証だ。愛すべき自分の姿の一つで、それが人であるということ。そして、人はそこから学び、また前を向ける。
よし、今日は落ち込んだこともあったけど、また明日も自分らしく。楽しく過ごそう。