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母も、娘であった

母と娘の話を書いてみたい。
自分の実感している言葉で書ける内容で、切実で、かつ結構な数の人に共感してもらえる話ではないかと思ったのだ。

(母娘問題といえば、こないだの春に出た三宅香帆さんの『娘が母を殺すには?』読みましたか?すごいですよね。
虐待なんて無縁のまともな母に育てられても、思い当たるテーマがありありの一冊。)

それはそうと、この記事は全然ウェットな感じではないと思うので身構えないで。ありふれたことを書いているだけの文章です。

結婚してちょっと時間が経って分かってきたことがいくつかあって、そのうちのひとつが「親ははじめから親だったわけではない」ということだ。

平野啓一郎『本心』で主人公が「当たり前だけども、自分は生まれた時から母のいる世界で生きてきたのだ」と気づくシーンがある。この主人公は母を亡くしたこと、私は結婚をきっかけに同じようなことに気がついたようだ。

自分が小学校高学年の時の話。
いつも一緒にいる女の子と、近所の夏祭りで今年は浴衣を着ようねと約束した。当然ながらお母さんに着せてもらう必要があるのでそう伝えていたのだが、その日はたまたま母だけ私の祖母に会いに行っていた。何の用だったか忘れたけど、しばらく電車に揺られて会いに行って、浴衣を着せるために切り上げて帰ってきた私のお母さん。

いま思い出しても切ないのだけど、当日になってその友だちから「浴衣、やっぱり着ない」と電話があった。
ひとりだけ浴衣でお祭りを過ごすのは、さみしい。二人揃って着ていなきゃ居心地が悪いというか、一人で浮かれてるみたいでイヤだったので、私も私服で行くことにした。

でも言いづらかったから(いま思うと、当時は連絡手段がなかった)それを伝えることもせず、着付けのために母は帰ってきた。
「きょう浴衣着ないんだって。だから私もやめた」

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