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岡倉天心『茶の本』読書メモ②
第4章で花について書いている。引用する文が華麗すぎてちょっと引いてしまったし、私にはなんか違和感がある部分だけ。
自然は人間よりも偉大で寛容だ、だって人生の愚かさにほほ笑んでくれるんだから。許してくれるんだから。花は人間の卑小さを許し包み込んでくれる。という主張があるんだが、こないだちょっとした丘というか山に行ってきた私的には、なんていうか「山に入って自生している草花を眺めてるほうが良くない?」と思った。
お茶室に花を生ける文化が浸透してきたあとで「花は偉大だから許してくれる存在だよ」と言っているだけで、もともとは野や山にいる存在なんだからそのまま咲いていてる方がずっと、その人でいてくれるじゃないか。
今の気持ちメモ。
死んだら自然と同じ存在になる、草花と一体化する考えは好きだ。こないだ10月だというのにまだ暑い木陰で見ていたあのシダ植物みたいな、あの存在に、死んだらなれるのかと思ったら急に死ぬのは悪くないなと思ったものだ。