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辻村深月さんの『傲慢と善良』で考えさせられた

海外出張のお供として購入した、辻村深月さんの『傲慢と善良』。
買った理由はいわゆるジャケ買いというやつで、透明感のある女性のイラスト笑。なんとなく、宮崎あおいさんを連想させるような女性。

◎あらすじ
恋愛に奥手で経験の少ない真美と、イケメンで女子人気も高いが元カノへの未練が少し残り中々次に進めない架の話。
とここまでであれば、いわゆる「君に届け」を同じような構図だが、面白いのは、この小説が人間描写の解像度を極限まで上げているところ。
読後、他者に対する理解の懐は広くなる。

「なるほど、親子のかかわりでこんな考えしかできなくなる・なりうるんだな。」
「表向きには謙遜・卑下しているが、SNSで言外に主張する写真から自己肯定感の強さを暗示しているってこういうことなのね」

◎感想
つくづく人間は深くて、難しい生き物だと思わされた。
架の単純さと真美の思考回路の深遠さは男女間で大きな隔たりがある要因かもしれない。男目線では、架の発想はすっと入ってくるが、女目線では真美の考えは意外と納得いくものなんだろうか。とても気になる。

なにより真美の性格が非常に興味深かった。ずっと言いなり?(ちょっと強い言い方だけど)の人は、自分で選択することへの執着がここまでないものなのか。自分で選択するものは、自分外のこと(食べたいものや買いたいもの)だけで、自分の事(どこに就職するのかどこで住むのか等)はすべて他人任せ。ここが一番信じられなかったが、こういう人は日本で多いのか。一番衝撃的で、心に引っかかっている。

そして真美が変わるきっかけとなるシーン以降では、人が変われるトリガーとなるのは、どこまでいっても”自分起点”しかないこと痛感させられた。
自分で行動して、環境を変える、付き合う人を変えるをしない限りは、人生・人生観は大きく変わらない。これはその通りだと思う。

人間関係について考える機会をいただきました。


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