未来設計について考えてみた
早いもので今年ももう年の瀬ですね。
社会人2年目にして将来についていろいろ考えてみたので書き残しておこうと思います。文章はうまくないですが日記感覚です。
ずっと考えていた”将来やりたいことって何だろう”って特によく悩みますが、最近ようやく見えてきました。
よくWeb記事や本に出てくる人は、やりたいことがある人、何かを成し遂げたい人、成し遂げた人、何かを夢中で追いかけることが大事だという人(某〇pple社の”Conneting the dots”)であふれていますが、が僕はあまりそういうのがないタイプです。
それでいて、世の中の大半の方は僕みたいな人なんじゃないかなとも強く思います。
そんな僕でしたが、最近未来について、どう生きたいかについて見えてきました。
”自由に生きる”という一点です。
やりたいこと(To Do)というよりはなりたい姿(To Be)ですね、完全に。
思い返してみれば、小学生のころから周りとは違う服装や考え方をしていてそれを強制されることがとても嫌いな僕でしたので、人生で最高の状態こそが”自由”なのだとも思います。
”自由に生きる”ことこそが自分の将来の姿、めざしたい姿だと今はとてもしっくりきます。
皆さんも意外とそうなのではないでしょうか。
何にもしばられず自由に生きたい。
ただしこれは非常に広義だとも思います。
たとえば僕にとっての自由は、会社をやめて、いわゆるFIREして生きていくというのとは違います。
要するに自由の範囲は人それぞれだと思いますし、自分の定義内での自由さえ確保できれば、それはそれで良いと考える人はほぼ全員そうなのだと思います。
会社に所属すること自体が不自由とは限りませんし、結婚もある意味縛りなのでそれすら嫌という人もいれば、普通に働いているけど自由に業務は出来るので自由で素晴らしいと思う人もいるということです。
僕の場合は、後者でも自由が担保されています。今の仕事は自由にやれますし、好きなように生きています。
ちなみに最近、両学長のYoutubeを見始めましたが、彼も同様に自由信者の気がしますがどうやら前者に近いのでは。。と思います。
ここまで考えると、結局自由に働いて、暮らしているならまあ今の状態最高じゃん、OKじゃんとなりますが、もう一段深堀したいです。
直近の自由が未来の自由になるかということです。Part 2の始まりです。
以上
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