思い込みの恐ろしさ

今日は朝から不快な1日であった。こんな書き出しで愚痴でも書くのかと自分でも思ってしまう。
しかし、剣道の思い込みと繋げて書いてみたいので最後まで読んでもらえたら嬉しい。

朝一で職場の上司の思い込みによる間違った怒られ方をした。これは指導や叱りではないと私は思うからあえて怒らら方と書こう。

内容はあまり重要でないので、あえて書かないが相手が不快な思いをしたことに対して丁重に謝罪し、私の行いについて理由を理路整然と述べて相手の思い違いについて説明した。

しかし、彼は全く聞く耳を持たずに怒り続けた。
その後も一緒に仕事をしている時に、逐一嫌味など言わなくていいことを言いながら1日を過ごしていた。
私だけでなく周りの人に対しても思い込みで怒っていた。

なぜこの人は怒っているのか、自分の思い込みを正そうと思わないのか、人の話を聞こうとしないのか
、自分が間違っていたなら謝らないのか、そもそもそこに気づいていないのか、いろいろなことが疑問に思った。

この疑問について剣道の時と照らし合わせて思い返してみた。
そうすると、思い込みは恐ろしいと感じた。

相手がどうしてこのような攻めをしてきたのか、なぜそのような行動をとったのか、考える(感じる)ことなく、自分の思い込みだけで自分勝手に打ち込むことは危機感もなければ思考が停止していて愚かな技だ。確実に博打となる打突だし、それはそもそも機会ではない。

相手に策がなければ、たまたま打突できるかもしれないが策や考えがあるなら確実にやられる。

それに1番大切なのは相手への敬意である。残心とでも言おうか。
相手への敬意を示していれば、自分の主張だけでなく、相手の策や思考にたいして剣を交えて会話できるはずである。自分の思い込みを反省して正そうとその場で気づき会話ができる。そういうことが合気の一つなのだろう。

相手に謙るでもなく、傲慢になるのでもなく、相手への敬意をもって会話する。

自分は知っている、自分はできている、私は教える立場の人間だ、相手は何もわかっていない、そんな思い込みを一掃して、相手と合気になることが何事においても重要なのではないか。 

立場が上の人間(特に、指導に携わる人間)こそ、相手への敬意を忘れずに合気になって歩み寄る心がけが必要だと感じた出来事でした。

日常生活から剣道の稽古と関連付けることが楽しい。

範士八段への道は面白い毎日だ!

未来を夢みて




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