エルデンリングのメタスコアに見る商業レビューの限界と将来への希望
2022/02/25にエルデンリングがフロムソフトウェアから発売(厳密には販売はバンナムか)され高難度を好むゲーマーが熱狂する中、当作品はレビューでも非常に高評価を得ている。
発売前日に公開された複数サイトによるレビューの平均値として出されるメタスコアは97点を獲得し、近年のタイトルとしてはGTA5やゼルダの伝説ブレスオブザワイルド、RDR2と並ぶ最高の評価を受けた。現在(3/12)時点でもPS5版96点PC版95点と依然高評価になっている。
まずようやく3/7に58時間でクリアした個人的な意見としては、最終的なスコアは88点をつける予定だ。
間違いなくとてつもない熱量が注がれた超大作でありゲーム好きであれば触るべき作品であるとは思うが、非の打ち所がない作品ではなくかなり人を選ぶことも確かである。
しかしながらレビューを見るとPS5版は最低点でも80点という高い点数で、それも一つのみであり80、85点が各1つある以降は全て90点以上のスコアが付けられている。
この明らかに人を選ぶジャンルにも関わらず高得点しかつかない現状がなぜあるのかをまず考えてみたい。
個人的には今までゲームメディアに対して起きたことを含め以下のような理由があると考えている
対象としているユーザー層以外がプレイした場合のバッシング
レビューの価値の増加とゲームの開発費増加
ゲームユーザーによる期待していた点数がつかないことへの批判
まず、対象としているユーザー層以外がプレイした場合のバッシングに関してはゲームをうまく操作できない人間がレビューを行った時に見られるレビュワーを批判するゲーマーによるムーブメントである。Automatonの記事が記憶に新しい通り、ゲームをプレイするのが下手な人間が操作しているというだけでレビュワー自体に批判の矛先が向くことがあるのは過去が証明している。
個人的には上記であったようなあまりにも下手くそなレビュワーによる意見というものは自分への参考には一切ならないのは否定しないが、それが不要であるかというとゲーム人口の広さを考えると意味があるという見解である。
母親がTVで見てサクナヒメをやってみたいというから買ってあげたら最初のチュートリアルステージで操作できなくて返されたことを思うと、そういう人間がいることもわかるしそれでも母親はどうぶつの森は数100時間プレイしていたなどゲームに触れてはいることもわかっている。そのような層の人間はゲームが上手い人間のレビューだけでは正しく情報が取得できず、現状のメタスコアのレビューは役に立たないのは間違いない
次にレビューの価値の増加とゲームの開発費増加に関して、ゲームの市場規模はどんどん膨れ上がりインディーを含めるととてもじゃないが個人では全てに触れることなどできなくなった今、どのゲームをプレイするかに関してレビューを参考にすることは非常に自然な流れであり避けられない事態である。実際にmetacriticのスコアは各社宣伝でも利用するようになっており影響力の大きさは無視することができない。
その一方でゲームの開発費は年々高騰し、1つの失敗で大きな赤字を出してしまうことも有にあり得る状態になっている。最近での大きな失敗で思い出されるのは、アベンジャーズによる50億円程度の赤字であったり、CDプロジェクトがcyberpunkで開発費の回収を予約だけで達成したにも関わらず発売後の品質問題で株価を急激に下げたことが思い起こされる。
レビューによって実際に売上が左右されそれが会社の存続規模の問題となる可能性すらある今、低得点をつけることに相応の代償があることが推察できる。
実際に過去にもFF15でレビュー掲載拒否が起こるなど会社としてもレビューが無視できないのは明らかである。
最後はあまりにもお粗末であるため参考は掲載しないが、例えばゼノブレイド2の発売前のファミ通レビューが思ったよりも低かったことでやや荒れた論調となったことなどが思い出される。悲しい話ではあるがゲハブログと呼ばれるようなものが蔓延してしまう程度にはゲーム業界の倫理観は残念なレベルで、ハードファンは違うハードのソフトを必要以上に貶すなど、ファン対応の問題も孕んでいる。
総合すると、ゲームファンから変な攻撃を受けないようにゲームに合わせた適切な腕前を持つ人のみがレビュワーを実施し、さらに特にリリースの少ない会社には潰れないように忖度をして、目立たないようにある程度他紙と近くなるような点数をつける。
こんな状態で正確なレビューになるのであろうか?個人的に既にメタスコアは足切りをする方式くらいにしか使えないと思っているがより拍車がかかるのではと思う。
なぜこうなってしまったかといえば明らかに拡大しすぎたゲーム規模とレビューの重要さが根幹であり、少なくとも今の体制ではレビューはどんどん無価値になっていくのではないだろうか。
ここから先はあくまで個人的な願望ではあるが、そもそもレビューなんて書いた通り全部やる暇がないからやるゲームを選定するための材料に過ぎない。
そもそも点数にしても平均点なんてクソの役にも立たず、最終的に重要なのは自分がどう思うかでしかない。本質的には自分のドッペルゲンガーが存在してそいつが点数を教えてくれるのが最高ではあるが、そんなことは望めないため準ずるものとしてはたくさんの個人がレビューする事で自分と近しい感性を持つ人間がどう思うかを知ることが望まれていると思う。
平均点なんてものは取り除かれ、メディアにしても1メディアから複数人が思い思いの点数をつけ、個人は個人で自分のやってきたゲームの採点をする事で機械が自分と近しい感性を持つ人が出すスコアを算出し教えてくれる。このようなサイトができてくれることを切に願うばかりである。