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「また来よう」は実現しないから

以前、北京に住んでいたことがある。

たまたま仕事の都合で住んでいたのだけれど、最初は3年と思っていた滞在が延びて、結局5年住んだ。

大手企業の駐在員たちは都心の超高級サービスアパートメントに暮らしていたけれど、私は極めてローカル色の強い団地(小区と呼ぶ)に住んでいた。

引っ越しは3回したし、現地の中国人とルームシェアしたこともある。

とくに中国という国に思い入れがあったわけではないけれど、5年も暮らせば愛着もわく。行きつけの食堂にお気に入りのメニューがあって、週末に遊ぶ友達もできるし、つたない中国語でもなんとかコミュニケーションが取れるようになってくる。

中国という国はいろいろややこしいところも実際あって(法律がころころ変わる。ビザがおりない。偽札が多い。等々)、怒髪天を突くようなこともしばしば起こるのだけれど、住んでいるとそれも含めてまぁ慣れてくる。

中国人…とくに北京人のもつ、外国人や知らない人にも妙に親切で情に厚い素朴な気風は見習わなければと思われた。

私は中国が好きになっていた。

ちょっと暑苦しい言い方をするなら、北京は第二の故郷になっていた。

だから、これまた仕事の都合で帰国することになった時も、「またいつか旅行で北京に来よう」と思っていた。

大好きな北京ダックは日本と比べ物にならないくらい安いし、紫禁城は広すぎて見学しきれていなかったし、ラサのポタラ宮や四川のジャイアントパンダ保護区にも行ってみたいと思って行けずにいた(なんせお金も休みも足りなかった)。

もう10年くらい前の話だ。

それから仕事が変わり、中国と縁がなくなり、中国語はほとんど話せなくなってしまった。
収入は少し増えたけれど休みは相変わらず取りにくく、そうこうしているうちにコロナ禍で中国はさらに遠い国になってしまった。

あの頃、まるで国内旅行のように頻繁に日本と中国を行き来していて気づかなかったけれど、中国は近くて遠い国だった。

「またいつか来よう」のいつかはもう来ないかもしれない。

大学生のころにフランス旅行をしたときも、「今度来るときはルーブル美術館だけじゃなくて、オルセーやポンピドゥー・センターにも行ってみよう」と無邪気に思っていたけれど、あっという間に20年が経ってしまった。
時間の流れが速すぎて怖いし、1ユーロが高すぎて今の私にヨーロッパ旅行なんて現実的じゃない。

「また来たときに~しよう」まるで口癖のようにそう思う自分を頭の中でひっぱたく。

またいつか、のいつかは来ない。

だから今日が最後のチャンスだと思って、うっとおしいくらい貪欲にやりたいことをやりつくそう。

あぁ。あの下町のレストランで、安くてうまい北京ダックをお腹いっぱい食べたいなぁ。

Photo by dorobouneco
のんびりしたパンダの素敵な画像をありがとうございます。


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